電機・エレクトロニクス業界のニュースサイト・倒産情報/クリアリーフ総研


 
電機業界 企業分析電機業界 企業動向電機業界 新製品情報クリアリーフ総研 特集電機業界 中国情報電機業界 マクロ経済電機業界 倒産・速報/不渡り・情報電機業界 企業データベース・製品データベース電機業界 個人向け株式情報 
会員サイト案内無料試読申込み会員購読申込み会社案内 
       コラム
   腐ったみかん
 会社や組織は2:6:2の構成になっていると言われる。
 仕事が出来る人が2割、普通の人が6割、出来ない人あるいは仕事をしない人が2割という構成比率に分類されるというわけだ。
 実際には、もしかするとこの構成比率は1:8:1ぐらいで、しかもこの1割の「できない人」が会社あるいは組織全体をダメにするということが少なくない。
 箱のなかにある一部の腐ったみかんが全体を腐らせるという構図だ。
 会社や組織なら、その内部だけの問題だが、社会全体となると話は深刻だ。
 迷惑動画を流している人間はほんの少数派かもしれないが、そんな少数派が規律ある社会という全体像を崩してしまっている。
2023年2月25日
   杞憂
 キオクシアが半導体(フラッシュメモリ)の生産調整に入った。半導体の品不足が言われて久しいが、少し様相が変わってきているようだ。
 一方で自販連(社団法人日本自動車販売協会連合会)などの集計によると、22年9月の国内新車自動車販売台数は15カ月ぶりのプラスになっている。
 キオクシアのフラッシュメモリは、車載向けもあるが、サーバ、パソコン、スマホ関連市場などが多いとみられ、同じ土俵で論じることは出来ないが、半導体不足は解消されつつあるのかもしれない。
 それでも素材や装置を含めた半導体関連メーカーの増産投資の手は緩むことがない。
 5Gの浸透、EV(電気自動車)化、自動車の自動運転化など中期的に半導体需要は広がり続けるというのが業界の共通認識だ。投資には時間がかかるため、数年後をにらんで各社こぞって増産体制を重ねているのだろう。
 「足りなくなって、今度は作り過ぎて、余剰化する」というのは市場が何度も踏んできた轍だが、こんなに増産投資が続いて大丈夫だろうかとやはり不安になる。
2022年10月5日
   暗殺者の壊したもの
 安倍元首相の殺害は大きな驚きだった。ロシアのウクライナ侵攻が続くなか、中国と台湾をめぐる状況も緊迫しており、全体に世の中は不穏な様相になっている。
 中国と台湾をめぐる状況はロシアのウクライナ侵攻と必ずしも無縁ではないだろう。しかし安倍元首相の殺害は完全に別な時間軸で進んだ話だ。
 ただ長引くコロナ禍や、不穏な国際情勢が続いていることは、犯人の心理に微妙な影を落とした側面があったと思う。
 安倍元首相を殺害した犯人には「政治的な意図はなかった」とされる。
 だからだろうか、メディアは「暗殺」という言葉を一切使っていない。
 暗殺という言葉の定義は「政治的動機に基づく殺害に用いられる」ということになっている。
 犯人に政治的意図がないのであれば確かに「暗殺」ではないのかもしれない。
 しかし単なる個人的な恨みではないまでも、私怨の延長であえて要人を狙ったのならば、広義では政治的な意図があったとも解釈できる。
 本人に政治的な意図はなくとも、社会的なインパクトは大きく、暗殺以上のメッセージとなっている。
2022年8月7日
   時代
 企業倒産が増え始める予兆がある。
 件数もだが、5月末から6月初めにかけて、弊社でも倒産速報を報じるような注目企業の倒産事例が相次ぎあった。
 大手調査会社の集計でも「5月は1年ぶりに前年比プラスに転換」さらに「2年ぶりに2カ月連続で件数増加」などという表現が並ぶ。
 前年比については、コロナの影響による手続き上の問題もあるので一概には言えない側面もあるが、コロナ関連の優遇策が切れるタイミングで倒産事例が急増することは想像に難くない。
 「歴史的低水準だった倒産」の時代もついに終わるかもしれない。
 そのことと無縁ではないが、デフレからインフレ、円安進行など時代の潮流が大きく変化しているのを感じる。
 時代の変化というものは、振り返って気づくことが多いが、渦中で感じることはなかなかない。
2022年6月24日
   不都合な真実
 中国で上海での事実上のロックダウン(都市封鎖)に続き、北京でも行動制限が始まった。
 世界的にみると、そこまで感染者が多いわけではないのだが、政府が掲げる「ゼロコロナ政策」のため、厳しく規制している。
 上海などでは、市民が自由に出かけることが出来ず、日用品の買い物さえ配給に頼るような暮らしになっている。
 不満を語る上海市民の映像を見たが、なぜかそれが政策への批判にまでつながる流れには今のところなりにくいようだ。
 中国国民は自己主張の強いイメージがあるが、源流である政治にまでは誰も意見を言わず、口を噤む。共産党の一党支配のなかで、政治や政策を語るということは中国ではタブー視されている。
 北朝鮮などで抑圧された市民に声をあげる力がないことはわかるが、今や世界第2位の経済大国である中国の国民が理不尽な政策決定を甘んじて受け入れていることには違和感を覚える。
 「ゼロコロナ政策」は果たして有効なのか、全体の利益を守るために個人の自由を根こそぎ奪うのは妥当なのか、多くの疑問が残るが、最大の疑問はそうした意見を誰も中国政府にぶつけないという中国の不自然な状況だ。
2022年5月15日
   素朴な経済理念(価格について)
 早いもので弊社も創業から18年経った。
 創業当初はまだネットの情報は無料という考え方が世間的には多く、弊社のような有料の情報配信には苦労もあった。
 しかし今では有料のコンテンツが随分増えた。ほとんどの新聞社が有料の情報配信を行っている。無料ゲームも実際にはネット課金で楽しむ時代になっている。メディアの世界も同様だ。テレビは無料で見られるが、有料の配信サービスが増えている。自分も映画を見るためにNetflixやhuluに入っているし、サッカーを見るためにDAZNにも入った。
 時代は変わってきたと素直に感じる。
 最近のもうひとつの動きとしては、急にいろいろなものの値段が上がり始めている。日用品から公共料金まで値上げが続く。デフレからインフレの時代になるという見方もある。
 警戒する声は多い。しかし考えてみれば、品質より低価格が求められるという環境は、日本企業にとってあまりありがたくない話だ。製品価格が妥当に上がるという状況には歓迎できる側面もある。
 あらゆるものには正当な価格が存在する。無料というのは本来はありえないし、「賃金も上がり、物価も上がる」という方が自然だ。
 インフレにはまだ抵抗感もあるだろうが、価格に対する概念は確実に変わってきている。
2022年4月3日
   罪の重さ
 2月に入り、「介護疲れ」を理由に寝たきりの親族を殺害する高齢者の事件が大阪と東京で相次いだ。
 人を殺していいはずはない。
 当然のことである。
 いかに理由があっても、殺人は許されない罪である。
 しかし介護の果てに起きてしまう高齢者の殺人には同情の余地がある。罪は罪だが、社会問題として受け止めるべき点はある。
 ロシアがついにウクライナに侵攻した。
 同情の余地はあるのか? 正当性はあるのか?
 チャップリンは映画「殺人狂時代」のなかで「ひとりを殺すのは殺人者だが、百万人を殺す者は英雄だ」と皮肉をこめて語っている。
 プーチン大統領の行動が正当化され、介護疲れの高齢者が殺人罪で極刑の罰を受けるとしたら、そこにはやはり矛盾を感じる。
2022年2月27日
   日は沈み、日はまた昇る
 コロナで明け、コロナでまた暮れる2021年でした。
 2022年が素晴らしい1年であることを祈っています。
2021年12月29日
   笑顔に隠れたしたたかさ
 ソニーグループが中国当局から100万元(約1,800万円)の罰金を命じられた。
 盧溝橋事件が起きた7月7日にソニーが新製品の発売を予告したことが国家の尊厳を傷つけたというのが理由である。
 盧溝橋事件が起きたのは1937年であり、80年以上前の出来事である。
 日本人の感覚だと言いがかりのような印象も受けてしまうが、中国当局だけでなく、中国ではネット上でもかなりの批判があったようで、日中関係の難しさを感じさせる。
 背景には長引く米中関係の悪化や、そのなかでの日本の立場の難しさなどもあるのかもしれない。
 外交問題は奥が深く、根も深い。
 と同時に、やはり中国という国と接する難しさも感じる。今や中国は経済大国であり、その自負も大きい。
 20年以上前になるが、仕事でかなり頻繁に中国と往来した。当時は日本人というだけで中国ではもてはやされ、中国には「日本に学ぶ」という姿勢があった。
 今思うと、あの笑顔の下にはしたたかな計算があったのだと思い知る。
2021年11月6日
   敗れる理由
 功罪半ばするが、YouTubeなどで多くの人の意見を気軽に聞けるのは面白い。これまではスポーツ中継でも特定の解説者の評論を耳にするだけだったが、最近は色々な分析を手軽に知ることができる。
 格下相手に敗戦で始まったサッカーワールドカップの初戦。スコアは0−1だが、キャプテンの吉田が試合後のインタビューで言っていたように、負けるべくして負けた試合だったように感じた。
 敗因として様々な声があるなかで、日本選手のコンディションが悪かったことや、逆にオマーンの準備が周到だったことを挙げている人が多かった。いずれも一理あるとおもうが、個人的には解説者の戸田和幸氏が指摘していたプレス戦術の不徹底(人につくのか、ゾーンで守るのか)が興味深かった。
 「専門家はそういうところを見るんだ」と感嘆した。「あ、持っていかれた」とか逆に「うまく奪ったな」とか単純に思っていたが、そういう簡単な話だけではないようだ。
 うまく運ばないことには理由があり、失敗した局面にはそれにつながる背景がやはりあるようだ。
 結果論なのかもしれない。反対意見もあるかもしれない。しかしいずれにしても多くの議論があることは大切だと思う。
 さて、菅首相が退任した。しかし退任に至った背景の政策的論争は乏しい。
 メディアも含めて、政策的論争よりも誰が次の首相になるかだけの話題に終始している気がしてならない。
 国会内の思惑はあっただろうが、結局は菅首相が国民の支持を得られなかったのが退任の背景であり、その敗因への議論こそ大切だと思うのだが・・。
2021年9月5日
   空蝉
 オリンピックが始まった。
 新型コロナウイルス感染拡大による延期、さらに再拡大のなかでの開催となった。
 直前には開会式スタッフの相次ぐ辞任、解任もあり、懸念されたが、開会式そのものはよかったと思う。
 開催の是非に疑義はあるが、スタッフの任にある人間は職務を全うしていると思う。
 しかしやはり、それでも違和感は残る。
 今回のオリンピック強行開催を見ていると、
 八木重吉の「虫」という詩の一節が浮かぶ。
 「虫が鳴いている 
  いま ないておかなければ
  もう駄目だというふうに鳴いている」
2021年7月24日
   祭りの後に何を想う
 東京オリンピック開幕まで1カ月を切った。なし崩しの感も否めないが、もう中止の選択肢はないのだろう。
 入国した外国の選手団に感染が確認されようとも、開幕時に東京の感染者数が再拡大していようとも(おそらくしているだろうが)、ここまで来たらもう東京オリンピックは強行されるのだろう。
 作家の平野啓一郎氏が「オリンピックはもう楽しめない」とコメントしていた。
 多少の温度差はあるのだろうが、多くの人が同様の感情は今は持っているに違いない。ソーシャルディスタンスといいながらも、世界中から人を集めるイベントを政府主導で行っていることの矛盾を考えない人はいないだろう。
 それでもメディアは連日オリンピックを報道するだろう。お祭り好きの日本人はどこまで無頓着でいられるのか。オリンピックの後、たいした経済的効果も得られず、感染だけが静かにひろがっていく東京で、我々は何を想うのだろうか。
2021年6月27日
   敗軍の兵、将を語る
 サッカーなどスポーツを見ていると、選手交代などが遅れて「後手に回っているな」「(采配が)チグハグだな」と感じることがたまにある。
 当然だが、だいたいそういうチームは負けてしまう。個々の試合だけでなく、チーム作りにおいても、指導者が全体を見て的確な判断を下さないと強靭な組織は作れない。
 首都圏にまた緊急事態宣言が出る。
 医療逼迫がまた言われているが、この1年は何だったのだろうか? どうして医療体制の整備は進まないのか?
 ほかにも疑問は少なくない。「go toキャンペーン」は必要だったのか? この状況でのオリンピックの開催には何の意味があるのか? ワクチンが既に国民に浸透している国もあるのに、日本では医療従事者でさえまだ接種がすんでいないのはなぜなのか?
 今さらだが指導者の能力は組織にとって重要だと痛感する。
2021年4月25日
   郡盲、象を撫でる
 ルネサスエレクトロニクスの半導体工場火災は「泣きっ面に蜂」と評される。
 半導体の不足から自動車メーカーが生産調整を余儀なくされるなか、さらに拍車をかけることになるとみられ、自動車メーカーだけでなく機器メーカーの部材調達者など関係者は戦々恐々としている。
 そもそも半導体不足は、新型コロナウイルスの感染拡大が発端だった。自動車メーカーなどの生産停止が相次ぎ、半導体メーカーがキャンセルを受けたことから生産計画を絞り込んだが、そこから中国市場の急回復やら5G投資の拡大などが一気に重なったことでギャップが生まれた。
 避けられない側面も無論あっただろうが、もう少し大局的な視点があれば影響を多少は軽減できたかもしれないとも思う。実際にトヨタ自動車などは戦略的に調達しているため比較的影響が少ない方だとも言われる。
 思えば、新型コロナウイルスも感染者が減っては緩みが出てリバウンドするという悪循環を繰り返している。
 コロナ対策も部品の調達も、目先の数字だけ気にして行動していると、後で痛い目に遭うということだろう。
 中期的な視野に立ち、全体像を見通すのはなかなか難しい。
2021年3月27日
   豊饒な死
 NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が終わった。
 明智光秀というと、謀反を起こしてあえなく死んだ武将というイメージしかなかったが、ドラマを通じてその印象は大きく変わった。
 「本能寺の変」についても、色々な謀略説などがあることをドラマが始まってから知ったが、「麒麟がくる」ではまた独自の解釈をしていた。その解釈も従来の光秀像を変えるものだった。
 また織田信長の最期の言葉とされる「是非もなし(是非に及ばず)」についても、これまで信長の言葉としては似つかわしくないと個人的には違和感もあったのだが、その背景も少し理解できた気がした。
 解釈は様々だろうが、あの言葉の背景に達観と信頼関係のうえにしか成り立たない思いがあったとするならば、信長像も光秀像も大きく変わる。
 いずれにしても、予期せぬ死を前にして「是非もなし」と言えるのは豊饒な一生だったと思う。
2021年2月12日
   日はまた昇る
 2021年は年明け早々新型コロナウイルスの感染拡大が加速、首都圏は緊急事態宣言の再発令となった。
 専門家の意見は分かれるが、総じて収束にはまだまだ時間がかかるという見通しである。2月ピーク説を唱えている人もいて、まだまだ我慢の日々は続きそうだ。
 規制に対する飲食店や観光業者の悲鳴、オリンピックの問題、さまざまな困難があり、意見の違いから世の中がギスギスしている感は否めない。
 しかしいずれ日はまた昇る。
 1月1日は雲ひとつない青空が広がっていた。
2021年1月9日
 
 
 
     
Copyright (c) 2010 Clearleaf soken co., ltd. All Right Reserved.