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   白石さんのように
  生協の白石さんが話題になっている。
 大学生協の質問カードに端を発したブームだが、確かにそのウイット溢れるセンスは読んでいて楽しくなるし、同時に学ぶべき点も多い。
 いくつか拾うと、「生協に牛を置いてくれないか」というジョークのような要望には「議題を会議にかけたが残念ながら却下されました。即決でした」と答える。
 かと思うと「愛は置いていませんか?」という問いには、「愛は非売品です。もしどこかで売っているところがあったら、それは悪徳商法の可能性があります」と答えている。
 白石さん、ただものではない。そのユーモアもだが、その質問に答える真摯な態度が、である。白石さんブームをユーモアから解き明かしていくと本質を見誤る。ユーモアは切り口でしかない。背後にあるひたむきさと、それを覆うユーモアのバランスが人の心をくすぐるのだ。
 ユーモアに片寄っては軽薄だし、ひたむきさに片寄っては愚鈍だ。回りを見回しても、バランスよく両方を兼ね備えた人は案外なかなかいない。
2005年11月28日
   芸(仕事)は人なり
  仕事にはその人の個性が出る。逆に言えば、その仕事ぶりを見れば人もわかる。
 名人と言われた五代目古今亭志ん生は、話術もだが、その生き方も独特だった。ある意味では破天荒だが、逆に言えば律儀な性格だったらあの芸はなかっただろう。
 その志ん生の嘘のようなエピソードがある。戦時中に慰問で満州に行ったときの話だが、現地でウオッカの差し入れがあり、酒好きの志ん生はそれを楽しみに毎日飲んでいた。しかし強い酒なので、一日に飲むのは一本以下にしなければ命の保証はしないと言われていた。しかし戦況の悪化で日本に帰れなくなり、自暴自棄になりある日志ん生は「もう死んでもいい」と残っている酒を全部いっぺんに飲んでしまった。志ん生は3日間眠り続けたが、奇跡的に生き残った。そして目を覚ました後、酒をすべて飲み尽くした状況を知り、ぽつりと言ったそうだ。
 「どうせ生き残るのだったら、一日一本ずつ飲んでおけばよかった」
2005年11月3日
   したたかな人たち
  中国国内での正確な位置づけはよく知らないが、在日中国人などが購読している新聞のひとつに「大紀元時報」という新聞がある。媒体の宣伝コピーを読むと「中国共産党の情報封鎖を突破」とか「反日デモの実情、脱党ブーム」を報じるとあるから、中国共産党系でないことは確かで、検閲のない日本国内で自由に編集されているものと思うが、それでも反日的な匂いがある。
 同紙は月2回の刊行だが、9月15日付号の1面では、愛知万博で「法輪大法」の文字が書かれたTシャツを着た中国人ら数十人が中国館への入館を拒否されたという出来事や、中国国民党の抗日運動についての成果を中共が認めたということを書いている。後者についてそのリード文を拾うと「世界が第2次世界大戦終結の60周年を祝うなか、中共はこのほど抗日戦争の60周年記念で大規模な祝賀活動を行い、60年来初めて9月9日日本軍が南京で降伏調印した日を記念し、国民党の抗日戦争への貢献を認めた」とある。さらに記事は中共はナショナリズムを煽る戦略がそこにはあると続けているが、その是非はともかく、記事の書き方や全体の構成には、友好的な雰囲気は感じられない。
 誤解のないように書くが、この新聞は日本で発刊されており、すべて日本語で書かれている。読者対象などは不明だが、中国人が経営するレストランなどに数多く置かれているから、やはり日本在住の中国人が読んでいるのだろう。彼らはどんな思いでこうした反日的な記事を読んでいるのだろうか。こうした記事を読んだその後で新聞から顔を上げ、我々に「いらっしゃいませ」などと平然と言うのだろうか。
 中国人はしたたかである。
2005年10月17日
   かるく、やばい
  差別用語というものがある。人種的な差別や、肉体的なハンディキャップを示した言葉である。ところで、ちび、はげ、デブ、などの言い方は差別用語なのだろうか。以前にある席でこの話が出たときに、ちびとはげは本人の努力では直せないので差別的な言い方だが、デブは努力で直せるので差別的な言い方ではないのだと言っていた人がいた。世間でどこまで通用するかは置くとして、うまいことを言うと思った。
 確かにちびとはげは努力で克服するのには限界があるが、肥満は本人の心がけしだいだろう。ちなみにその人は、はげでデブだったが、ちびではなかった。微妙である。
 なお筆者は決して背は高くないが、ちびではない。最近少し抜け毛が気になるが、はげでもない。しかし以前はガリガリに痩せていたが、ここ数年で10キロ太ってしまった。かなり微妙である。
 肥満は精神の弛緩だと言った人がいる。確かにストイックなデブというのは見たことがない。別に多少太っていても構わないと思うが、精神的に緩んでいる人間にはなりたくない。試しに、わき腹をつまんでみると、かなりつまめる。
 「かるく、やばい」
2005年10月3日
   解き放たれる団塊の世代の行方
  既に「07年問題」として話題にもなっているが、団塊の世代がいっせいに定年を迎える2007年以降には大きな社会構造の変化が予想されている。
 単純に言うと、定年退職者自身とその退職金がどう流れるかで景気への影響はかなり変わってくる。団塊の世代は第2の職場で定年後も働き続けるのか? ベンチャーなどに再就職して若い世代をサポートしてくれれば、新しいパワーが生まれるかもしれない。あるいは単純に悠々自適の暮らしを満喫して消費に回るならそれもいいかもしれない。退職金が株式投資に回ると株式市場の牽引役になる可能性もある。
 しかし言うまでもないが、こうしたプラス面より実は懸念されているのはマイナス面である。
 特に深刻な問題となりそうなのは退職金を支払う体力のない中小企業である。大量の退職金支給が発生する状況は企業の存亡にも関わる。手前味噌となるが、弊社ではそうした「退職金倒産」を避けるための社労士を中心とした企業の退職金制度の再構築を支援しているが、こうした施策は早くから手をつけなければ手遅れになる。おそらくはこれから黒字企業の倒産といった事態も発生してくるだろう。
 フォークソングを歌い、学生運動で反体制を熱く語り、高度経済成長を牽引したエネルギッシュな団塊の世代。充実した定年後を迎えていただきたい。そしてそれが可能な社会であってほしいと思う。
2005年9月24日
   人間いたるところに青山あり
 「年寄りはもう必要ない」とジャイアンツの渡辺オーナーが言ったと聞き、ようやく悟ったのかと思ったが、勘違いだった。自分のことではなく、一部のベテラン選手のことを言ったのだった。
 言った方は、かつて「たかが選手と話すことはない」と言った程度の器の人だからどうでもいいが、言われた方の気持ちを考えると哀しい。怪我はいずれ治るだろうが、傷つけられたプライドは決して元に戻らない。
 一方で、かつてジャイアンツキラーと言われた人が次のこの球団の監督候補に挙がっているようだ。キラーとしてのアイデンティティーはどうなるのかと思うが、本人が仮に満更でもないのならこれも仕方ない。そのときは所詮その程度の人なのだと思うしかない。問題は、今まさに戦っている現監督のプライドであり、あるいはかつてその監督の座を追われ「夢の続きを胸のなかにしまいこんで明日からもがんばる」と言って去った男の心情である。それを考えると哀しい。
 上に立つ人間の配慮のないひとことや、組織の行き当たりばったりの人事が、結局はその組織そのものをだめにしているということは、確かにある。
 ジャイアンツという球団にはもはや興味はないが、「もう必要ない」と言われた選手の去就や、胸に「夢の続き」をしまいこんだ男の行方には注目したい。
2005年9月5日
   貧でもなく、鈍でもなく
 たかが郵政改革でここまでやるか、という思いは強いが、小泉首相にとってはたかが郵政改革ではないのだろう。ある意味ではその執念は理屈抜きにすごい。「変人」もあそこまで貫けばむしろ立派である。
 半面、小泉首相の出身派閥の会長である森喜朗元首相にはあきれた。
 解散を決める前の小泉首相との話し合いの後、森氏はビールの空き缶を手にして「寿司ぐらい出してくると思ったのにこんな缶ビールが出ただけだった」とか「つまみに乾きものが出たが固くて噛めやしなかった」と愚痴っていたが、そのインタビューを見ていると、解散の意志を翻せなかった苦渋よりも、寿司が食べられなかった恨みつらみしか読み取れなかった。政局の重要な話し合いは森氏にとっては寿司をつまみながらでなければ話せないのか? 政治は寿司のつまみか?
 そういえば、森氏はかつて首相時代に、連日の料亭通いについての是非を新聞記者から問われ「じゃあ飯はどこで食えばいいんだ?」と真顔で聞いていたこともあった。森氏の口から小泉首相の変人ぶりを語れば語るほど、逆にその凡人ぶりが透けて見えるのは気のせいか。
 森氏も学生時代には応援団に所属し、バンカラだったと聞く。いつから寿司屋や料亭通いが当たり前になったのだろうか? と余計なお世話だが、ふと思う。
 「貧すれば、鈍」という言葉があるが、富が生む鈍もあると思わざるをえない。
 個人的には、富める鈍ならまだ清貧でありたいと思う。しかし本音を言えば「貧でもなく、鈍でもない」方がいいとも思っていまうところがやはりこちらも凡人の器か。
2005年8月15日
   今いちど、レジェンド
 キングカズことヴィッセル神戸の三浦知良選手がF2の横浜FCへの移籍が決まった。これまでにも多くのチームへの移籍を経験してきたカズだが、F2への移籍にはサッカーサポーターにはある種の感慨を禁じえない。
 ヴィッセル神戸のパベル監督は、カズの移籍を受けて自身のチームの立て直しについて「レジェンド(伝説)から新世代へ」という言葉で総括している。言い得て妙だが、それはそれで三浦選手の姿勢にはやはり感銘を受ける。
 あれだけの栄光に彩られた選手が、J2で自分の子供ぐらいの年齢の選手たちとレギュラー争いをしてまでサッカーを続ける気持ちが、である。まだ日本人の大半がサッカーW杯のことをほとんど知らなかった時代から日本代表のW杯出場にこだわり続け、自身もおそらくは誰よりも強い思いでそのピッチを踏みたかったはずだ。その夢を結局は果たせなかったが、その男の引き際はしっかりと見届けたい。
 奇しくも初出場となった横浜FCの試合で前線に並んだのはあの城彰二選手だった。世代交代の悲喜を演じたふたりの選手がともに同じJ2のピッチに立っているのもある意味「時代の流れ」か。
 いずれにしても、
 「伝説はまだ終わっていない」
2005年8月1日
   名付け親の思いを知る
 企業であれ、商品であれネーミングの由来を知るのは新たな発見がある。
 名前には、その企業や商品を世に送り出した人の思いが少なからず込められている。
 高級すいかとして知られる「デンスケスイカ」は、もともと農家が田んぼを助ける商品になってほしいという意味で田助(でんすけ)と名付けたものだし、「アンデスメロン」は開発者(サカタのタネ)が安くておいしいメロンを「安心です」とアピールしたいためにつけた。
 企業名では、ヒンジと呼ばれるちょうつがいのメーカーのストロベリーコーポレーションはレストランでストロベリースープがメニューにあるのを見つけた創業者がそれを注文し、チャレンジ精神を忘れないようにという意味でつけたという。また残念ながら倒産してしまったが、レジャー施設を運営していたレオマは「レジャーはおまかせ」という意味の社名だった。
 名前さえよければヒットする、成功する、というほど世の中は甘くない。成功の鍵がネーミングにあるなどと言うつもりもさらさらない。ただそのネーミングの背後にある人の気持ちを知るのが好きなだけだ。
 さて手前味噌だが、弊社クリアリーフ総研にも社名の由来がそれなりにあります。よろしかったら会社案内をご覧下さい。
 と最後は宣伝になってしまうところがいかにも薄っぺらですが、薄っぺらであることは自認しています。もともと葉っぱですから。
2005年7月16日
   ビューティフルから猛烈へ
  ひと昔前に流行ったドラマのリメイク版がこのところ多くなっている。「エースをねらえ」「アタックNo1」「赤い疑惑」など、今見ると改めて前作の熱い時代を感じる。
 一方新たなドラマでも、「ウォーターボーイズ」「ごくせん」「エンジン」など人気になったドラマを見ていると、ジャンルはそれぞれ違うが、前出したリメイク版と共通している点を感じる。
 それはどの主人公もひたむきに努力しているというところだ。かつてトレンディドラマが一世を風靡していたころには「格好よさ」が追求されたが、最近の人気ドラマにはおしゃれな設定など必要ないようだ。ウォーターボーイズもごくせんも舞台は普通の高校で、エンジンにいたっては養護施設だった。小粋なレストランが出てくることもない。
 たかがドラマではない。ドラマは時代を映す。スタイリッシュなものを求める時代から少しずつだが志向が変わってきたのではないか。
 主人公は皆、一所懸命に努力して、チャレンジしていく。ちょっと前なら「ダサい」と言われたそんな姿が共感を受けるようになってきた気がする。今、懸命に努力する若者たちのドラマが増えて、共感を集めているのは、時代がゆっくりと大きく動いている証(あかし)であるような気がしてならない。
 かつて「猛烈からビューティフル」と言われた時代があり、その後バブルがはじけていった記憶がある。今度はその逆であればと願わざるにはいられない。
 流行(はやり)を追って、少し額に汗してみようか。誤解しないでほしい。努力したいのではない。流行を追うのが好きなだけだ。
2005年7月3日
   小さい人間ほど背伸びをする
  サッカーのW杯出場が決まった。
 アウェイでのバーレーン戦での勝利が大きかったが、やはり決まった北朝鮮戦のインパクトは強烈だ。ディフェンスもよかったし、先制点の柳沢も無論すごかったが、大黒の追加点にその切れ味も含めて大きな可能性を感じた人も少なくないだろう。
 大黒は、試合後にはテレビ出演も多くなっているようだが、その飄々とした態度も好感を持てる。風貌は大阪のたこ焼き屋さんの前でたむろしている高校生のようでお世辞にもシャープな印象はないが、芯は相当しっかりしているようだ。
 そんな大黒の言動のなかで、ひとつ強烈に印象に残っている言葉がある。
 それはこのW杯初戦のホーム北朝鮮戦後のことで、テレビを通じて見たのだが、小学生のサッカー少年とのやりとりだった。「将来は?」と聞かれて「大黒選手のようになりたい」と言ったサッカー少年に向かって、当の大黒は真顔でこう答えていた。
 「ぼくなんか目標にせず、もっと上の選手を目指してほしい」
 なかなか言えない言葉だ。
 つい背伸びをしてしまう自分が恥ずかしくなる。スポーツ紙が伝えるところでは、その大黒はオフの10日もひとりでトレーニングをしていたそうだ。
2005年6月11日
   最下位ジャイアンツ
  M&Aが経営のひとつのキーワードになっている。
 確かに新規事業を始めるにあたり、既にその業界で地歩を固めている企業を買収するのは合理的な考えではある。「M&Aとは時間を買うことだ」とも言われる。ブランド、販路、人材などを育成するには多くの時間と労力がかかる。市場競争のなかでこうした回り道を回避するのにはM&Aは有効な手段だ。買収された企業にとっても必ずしもそれは不幸な末路ではない。旧態依然とした体質のなかでは行き詰まっていた経営が一気に払拭されるケースもある。経営安定化の近道でもある。買った方も、買われた方も利益を享受できる。
 しかし、それでもやはり疑問は残る。
 創業者の町工場からたたき上げてきた思いの行き場を考えると哀しい。札束を積めるその高さで勝者が決まるという社会は何だか嫌だと思う気持ちは、所詮ジャイアンツの負けを望むアウトロー的発想か。
 ちなみに5月21日時点でセリーグの最下位はジャイアンツである。妙に嬉しい。
2005年5月21日
   責任のとり方
  トレンドマイクロのウイルスソフト不具合が原因で報道機関や鉄道各社のシステムに障害が発生した。自社製品のソフトの不具合発生も無論問題だが、そのトラブルが最終検査を怠ったために発生したとなると最早呆れるしかない。
 しかしその後の問題解決への取り組み方は評価してよいのではないか。
 障害が発生したのは4月23日の土曜日だったが、会社側は24日の日曜日に素早く問題発生を公表、26日には米国で経営の指揮を執っているエバ・チェン社長が緊急来日し謝罪、障害を起こした更新ファイルの名称に合わせて当面は自身の報酬を月額594円に減らすとした。594円としたのは、不具合のある更新ファイルが「594」という名前だったためで、社内外へのアピールの強さも込めたのだろう。誤解を恐れずに言えば、その責任の取り方には工夫がある。どこの会社のどのケースとは言わぬが、データ流出の際に国内IT大手の某社は役員が頭を下げただけだった。役員報酬のカットぐらいはあったかも知れぬが、印象には残っていない。
 下げた頭の薄いてっぺんなどあまり見たくもない。どうせなら、ちょっとした機知でも見せてもらった方がよほど好感が持てる。
2005年5月4日
   いつでも「もう遅い」ことはない
  嫌な予感は確かに前からあった。
 それは日本の優勝で終わったサッカーアジアカップでの過剰な反応だった。開催国中国の日本代表に対する大ブーイングと、それに続くいくつかの行動で我々は「好かれていない」ことを改めて知った。
 しかし当時は小さな痛みや違和感だったが、数千人規模のデモや日本系企業などへの破壊行動にまでなると、最早痛みや違和感では収まらない。対中投資で握手をしたその裏にあのような反感感情が潜んでいたことへの違和感は消えぬが、現実問題として日本の産業界において中国の存在は既に切っても切り離せない。ここまで来ての中国での反日感情の露呈には梯子を外された感も拭えないが、実態を知るいい機会だったのかも知れない。挙句の果てには韓流ブームでわく韓国でも「がんばれ中国」的気運が出ているのには(予想はしていたが)がっかりした。
 ナショナリズムを高揚するつもりは毛頭ないが、黙ってばかりいては事態は解決しない。認めるべきは認め、主張すべきところはきちんと主張すべきだろう。
 日本へのバッシングはこれが初めてではない。かつては「メイドインジャパン」が目の仇(かたき)にされ、米国で日本製電気製品が粉砕されたこともあった。それをどう乗り切ってきたかを思い出してみよう。
 ヨン様に熱狂する日本女性がいるように、キムタクに熱狂する上海女性が多いことも事実だ。日本のすべてが嫌われているわけではない。誰もが木村拓哉になれるわけではないが、キムタクも日本人だぞと言う事だってひとつのアピールだ。
 個人的には、どんなことにも「遅すぎるということはない」と思っている。
2005年4月16日
   蜜月と憎悪
  「ipod」がすっかりメジャーになったが、アップルといえばもともとはマニアに根強い人気を持つマックコンピュータで知られるように、どちらかといえばマイノリティだが熱狂的な支援者を持つ企業だった。そのアップルにちょっとした異変が起きている。無論、「ipod」のヒットではない。
 ニュースで知っている人もいるだろうが、マックファンで構成するファンサイトがアップルの非公開情報を紹介したことで訴訟騒ぎになっているのだ。内部情報の流出という側面もあるのだが、ここで書きたいのはそういうことではなく、ヘビーユーザーと企業との蜜月関係にひびが入っているということである。聞くところによれば、件のサイト運営者は熱烈なマックファンの大学生という。
 これは松下やソニーが2ちゃんねるを提訴したのとはわけが違う。あえて言えば、「わに」が「わにちどり」を食べようとしてしまったようなものか。と書くとわにちどりが気の毒になるが、わにの痛いところをつついてしまったのかもしれない。
 恋人にふられた男が一転してストーカーとなって相手を傷つけるということはよくある。サッカーW杯でオウンゴールした南米選手がサポーターに射殺されるという事件も南米ではかってあった。愛した分だけ憎悪も深くなるというのは定説だ。ファンサイトが一転して攻撃サイトにならなければよいが・・。
2005年4月2日
   看板は同じだが
  今や話題のライブドアの創始者のことを考えてみたい。
 知っている人は知っている話だが(あたりまえだが)、ライブドアの創始者は大ヒット商品となった「ipod」の生みの親である。「え?」と思ったあなたは「ライブドア倒産」という言葉にもだまされるのだろうか? 
 ライブドアという会社はもともと現在の堀江社長が創始したものではない。無料のネット接続を手がけていたライブドアは2002年に民事再生法を申請して倒産、堀江氏が事業を継承して自らの会社と事業統合、自社の社名もライブドアに変えてしまったのだ。当時のライブドアを率いていた前刀禎明氏は、その後アップルコンピュータに入社、昨年から日本法人代表ともなり、「ipod」大ヒットの仕掛人となった。
 堀江氏と同様、前刀氏も陽のあたる坂道をのぼっている印象を受ける。坂道はいつか下り坂にもなろうが、彼らならまた這い上がるのだろう。いずれにしても、ふたりが多くの人よりもアップダウンのきつい人生を歩んでいることは間違いあるまい。
 ふたりの社長もだが、ライブドアという名前の会社も激動のなかにいるようだ。看板は同じだが、中身はふたりの社長のものとでは大きく違ったはずだ。
 関係ないが、林屋正蔵の名をこぶ平が継いだ。こっちはどうもまだ語るに足らない。どうもすみません(とこめかみに手をあてておこう)。
2005年3月20日
   遥かなるもの
  日本サッカー協会の川淵キャプテンのインタビュー番組があり、興味深く見た。
 日本サッカー協会は先に日韓共催でワールドカップを成功させたばかりだが、今度は2050年に単独でワールドカップを開催、そこで優勝するという目標を掲げており、そのための体制づくりや強化を進めていくと川淵氏は番組中で熱く語っていた。2050年といえばまだ45年先である。常識的に言えば、川淵氏は生きてはいまい。夢の実現は後継者に託すことになるのを承知で、彼はその夢を語っているのだ。自らは見届けることができないであろう夢に向かって邁進するというその志には頭が下がる。
 そういえばJリーグは「百年構想」というのを掲げている。百年の計というのがいかほどのものであるのか、凡人の私には到底理解できない。理解できないが、何やら羨ましい気はする。百年先のこと考えると、今期の業績予想や市場見通しなどどうでもよくなってくる。
 不思議と大きな気持ちになってくる。それがいいのか悪いのかはわからないが・・。
2005年3月5日
   虚構のなかにある確かなもの
  「武器を大量に盗まれた」と届出があり、よく聞くとネット上のバーチャルゲームでのことだったという話がある。
 この話を紹介した紙面では現実とバーチャルの区別がつかなくなっているという論調で、半ば笑い話のような扱いだったが、果たしてそう言い切ってしまっていいのだろうかという思いもある。
 経緯はよくわからないが、ネット上の資産も資産ではある。誰かが自分のネット上の仮想空間に入って侵入してくれば、それはやはり犯罪ではないか? 泥棒が家から財布を盗めば犯罪で、ゲーム仲間にサイト上の基地から武器を盗まれるのは笑い話になってしまうというのは少し釈然としないという気もする。
 こんなことを書くと、あなたも現実とバーチャルの区別がついていないと笑われそうだ。そうかもしれない。ただふと思った。
 もし、ネット上だけのつきあいで人を好きになってもそれは恋愛ではないのか? 仮にそれは恋愛とは違うとしても、その人の熱い気持ちまでは否定することはできないのではないか? 恋愛対象はバーチャルでも、熱い気持ちは本物ではないか?
 うまく言えないが、大切なのはその気持ちの方だという気がする。
2005年2月21日
   オールオアナッシング
  ICカード用の公衆電話機がなくなる方向のようだ。
 意外なニュースであった。ICカードの普及が急速に進むなかで、当然ながら磁気カード公衆電話機の方がなくなる方向と思っていたが、そうはならなかった。興味深い。
 そもそもなぜICカードに切り換える必要があったのか、という疑問もあるが、その理由のひとつには偽造防止があった。筆者も目撃したことがあるが、確かに偽造磁気カードは繁華街などであやしげな外国人が堂々と売っている。彼らの陰にどんな組織があるのかなど知る由もないが、おそらくは簡単に偽造ができるのだろう。こうした対策に手を焼いていたという事実は確かにあったようだ。ICカードの偽造という話はまだあまり聞かないので、少なくともこの点では効果があったことになる。ではなぜ折角普及が進み始めたICカードをやめるのか?
 もともと公衆電話機は携帯電話の普及で市場が小さくなっていたが、そのなかでもICカード用は設置台数が少なく、そのために利用が広がらなかったというのが大きな理由のようだ。そう言われればそうかとも思うがどうも釈然としない。電話機というのはひとつのインフラであり、これまでの例からいうとこういう場合は、一方的に押し付けるように仕組みを変えてきたではないか? 
 公衆電話用ICカードがなぜ普及しなかったか? 無論所詮はニッチマーケットになる宿命だったのかも知れぬが、なぜニッチマーケットさえ形成できなかったという点は興味を引く。
 やるときはがんがんいけということか?
2005年1月29日
   あれから10年
  阪神淡路大震災から10年が経過した。戦後最悪という6,400人以上の命が奪われた傷跡は神戸の人々のなかに今も残るだろうが、街角は確実に復興している。それが10年という歳月の重さだろう。10年経てば、生まれたばかりの子供も小学校高学年だ。月日を重ねるにつれ薄れていく記憶もあるだろう。忘れたくない思い出も色褪せるだろう。そしてそれとともに傷みも癒えていく。「なにをのんきな」と言われるかもしれないが、それでいいのだろうと思う。
 天災は避けられない。昨秋には新潟にも地震があった。産業界でいえばその影響で三洋電機やトッキが今期の業績で大きな影響が免れない。南国の楽園をおそった津波も人々から大きなものを奪った。
 「あの日から何もかもが変わってしまった」という言葉があった。それは災害に直面した人すべてに共通した思いかもしれない。ただそれでも思う。災害の日から何もかもが変わってしまったかもしれないが、すべてが奪われたわけでは決してない。いつでも人はやり直せる。所詮生まれてきたときは裸だったのだ。
 がんばれ新潟。
2005年1月17日
   なんくるないさ
  正月のテレビで、女子プロゴルファーの宮里藍が出ていた。彼女の好きな言葉は、どうにかなるさという意味を示す沖縄の方言の「なんくるないさ」だそうである。さらにその番組では2004年の自分の活躍を振り返り「100点満点で120点」と採点していて、それも印象に残った。
 ややもするとスポーツ選手には求道者のようなストイックな印象がある。大リーグのイチローのように常に上を目指し、自分に満足しない姿勢が成長を促すというイメージがある。120点というのは客観的に言えば妥当な評価なのかも知れぬが、その意味では違和感もあった。よかったよかったとただ大喜びしていては成長が止まるのでは、という思いもよぎったが、すぐに思い返した。自分自身で120点と笑顔で言い切るところが実は彼女の成功の源泉なのだろう。
 そうなのだ。うまくいったら素直に喜べばいい。喜ぶことの幸福感がさらなる成長につながる。
 そしてうまくいかなかったときは「なんくるないさ」とつぶやけばいいのだ。
2005年1月8日
   リセット
  明けましておめでとうございます。
 多くのことが過ぎていった2004年が終わり、新しい年となった。無論、暦のうえでは1日が過ぎただけだ。それで何もかもが変わるわけではない。新年とともに景気が急に好転するわけではない。新潟や南の国のリゾートを襲った震災が元に戻るわけではない。崩壊した家が戻るわけではない。奈良で殺された少女の命が甦るわけではない。
 しかし年が変わることで思いを新たにすることができるのは悪いことではない。
 年が変わったからといっても何も変わらないと冷ややかに構える人もいるだろう。それはそれで論理的には正しいのかもしれない。だがいつも世の中は理屈通りに動くわけではない。
 何かを変えたいと思う人にだけ、リセットボタンはある。
2005年1月1日
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