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       コラム
 
   アフターコロナの恐怖
  新型コロナウイルスの感染拡大によって景気が低迷している。
 エレクトロニクス業界は5Gなどが牽引しているが、飲食業や観光業などでは大きな影響が出ているのは間違いない。
 弊社の調査では業界内の倒産はコロナ以降それほど膨らんでいない。このほど発表された調査会社の資料を見ても、今年度上期(4〜9月)の全業種における倒産件数も例年になく少ない。記録的な少なさと言ってもいい。
 4〜9月という時期はコロナ感染拡大と丸被りで、厳しい経営状態が続いているところが多いはずなのだが、倒産にまで至っているケースは実は限定的である。
 不思議な現象だが、理由はある。
 政府や金融機関が支援を行い、必死に下支えをしているからである。不渡りは事実上出ない形になっているし、担保がなくても緊急融資が行われている。
 しかし支援は恒久的なものではない。不渡りも表面化していないだけだし、支援もあくまでも融資である。
 コロナの収束はまだ見通せないが、逆に収束が見えたときに、不渡りは表面化するし、多額な借金を抱えたところは返済に迫られることになる。
 倒産事例は少ないが、実はすべてが先送りにされているだけなのだ。
 コロナの怖さは、アフターコロナの時代になっても経済面で続く。
2020年10月9日
   ユートピア
  共産党が一党支配する中国の企業に対しては、欧米などで情報漏洩の警戒心が強く、ファーウェイ外しなどの動きが出ている。
 一方で世界的に新型コロナウイルス感染拡大が続き、第2波が広がる動きとなっているなか、発生源だった中国経済がいち早く立ち直っている。
 発生源だった中国がいち早く感染を抑え込んだのは、武漢を完全封鎖した効果であることは否定できない。
 残念ながら、自由主義国家においては、強制的に人々の自由な行動を政府が抑え込むということには限界がある。
 「国家が第一である」という考え方にはアレルギーがある。その国家に暮らしている人々の自由が優先されるべきだと思う。
 しかし、日本を含めた自由主義国家がなかなかコロナウイルスを抑え込められないでいるという現実もそこにはある。
 個人的には、自由主義社会を守ることは人間の尊厳に関わると思うが、規制の緩さによるコロナの感染拡大を思うと、その信念も揺らぐ。
 もともと政治にはあまり期待もしていないが、理想的な社会体制とはどこにあるのだろうか、とは思う。

2020年8月5日
   ハッピーエンド
  子供の頃に見たSF映画では、宇宙からの外敵に対しては、全人類が力を集結して地球防衛軍を結成するというのが定番だった。
 もっと身近な例でも、学生時代に同じクラス内で仲がよくないクラスメイトがいても、クラス対抗となる体育祭などでは当然のように力を合わせた。
 そういうものだと思っていたが、どうも現実は少し違ったようだ。
 新型コロナウイルスという外敵は、結束よりも内部の争いや不満を噴出させてしまった。
 米国と中国、米国内の白人と黒人、中国と香港、韓国と北朝鮮・・コロナ前よりも問題は深刻化している。
 コロナという新しいリスクは、社会に融和よりも緊張をもたらせてしまった。
 映画の世界では全人類が力を合わせた地球防衛軍は必ず勝利するエンディングだったが、内部分裂中の地球防衛軍はコロナという外敵に果たして勝てるだろうか。

2020年6月21日
   未来への想像力と格差
 コロナの感染について、ビートたけしが「(感染するかどうかは)ロシアンルーレットのようなもの」という言い方をしていた。
 確かにそうだが、リスクを避けることはできる。もちろん社会生活のなかで避けられないリスクはあるのだが、ゼロにはならないが、小さくする努力はできる。
 そういう意味では「ロシアンルーレットのようなもの」ではあるがロシアンルーレットそのものではない。自制すればリスクを小さくすることはできる。
 自粛要請が出ているなかで、わざわざ遠くのパチンコ店に行き、さらに行列している人たちを見ると、やはりわざわざリスクを高めていると感じざるをえない。
 あそこで行列している人たちには「未来に対する想像力」が欠如していると痛感する。
 この時期遠くにあるパチンコ店にわざわざ行って、さらに行列して、人が密集するなかで時間を費やす人に「明日の自分と社会を想像する力」があるとはどうしても自分には思えない。
 今、大切なのは自制心と未来への想像力だ。
 社会的格差が問題視されているが、厳しい言い方をすれば、こうした想像力の差が格差を生むのは必然と思える。
2020年5月4日
   常識と非常識
 マスク、トイレットペーパーなどの買い占めが問題になっている。
 マスクについては需要と供給のバランスが明らかに崩れているが、トイレットペーパーなどは在庫はあるが、買い占め行動が起きて一時的になくなった。
 マスクも、トイレットペーパーも、多くの人が在庫しようという行動をとったため、なくなった。「在庫は必要ない」と言われても、人々はそうは思わなかった。
 企業でも「在庫」という問題が表面化している。
 企業にとって「在庫をどれだけ持つか」というのは大きな問題である。
 トヨタのカンバン方式を例にとるまでもなく、これまでは在庫はなるべく持たないというのが理想だった。在庫が多いと保管に金がかかるし、在庫価値の見直しも必要だからだ。
 しかし震災、あるいは今回のようなサプライチェーンの寸断というようなことがあると、逆に在庫を持たないことがリスクになってしまう。
 まだ日本を含めて世界は「コロナ後」を考える余裕はないが、「コロナ後」は多くの価値観が変わってくるかもしれない。
 在庫だけではない。生産の国内回帰も含めて、これまでの常識を疑う必要が出てきた。
 常識は時代とともに変わる。
2020年4月7日
   人命より優先されるもの
 新型コロナウイルスの猛威が止まらない。
 1月31日になってようやくWHO(世界保健機関)が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言したが、もう少し早い段階で宣言を行うべきだったのではないか。せめて最初の総会で宣言が出されていれば、被害はもう少し食い止められたのではないかと思う。結果論になってしまうが、そこは今後精査してほしい。
 一方そのWHO事務局長が「(緊急事態)宣言は中国への不信任投票ではないことを明確にしたい」「中国政府は感染拡大阻止に並外れた措置を取った」とあえて発言したことには、逆に「並外れた」違和感を覚えた。
 そんなことをあえて付け加えて「緊急事態宣言」をするくらい、中国に気を遣う必要があるのかと勘繰る。
 感染源になったことを非難するのは少し違う気もするが、わざわざWHOが中国政府を擁護する真理は測りかねる。
 もし政治的配慮があったのだとしたら、WHOに果たして「緊急事態」を封じ込める能力があるのか、疑問に思える。
2020年2月3日
   祭りの後の静けさ
 2020年が始まった。
 2020年はオリンピックイヤーであり、その期間はお祭り騒ぎになるのかもしれない。
 仕事始めの1月6日、たまたま某紙が経営者への景況感のインタビューを掲載しており、興味深く見た。
 足元の景気は「足踏み状態」だが、年後半には「緩やかに拡大する」とみている経営者が意外に多いようだ。
 これまでオリンピック後への景気失速を懸念する声が大きかったのだが、ここにきてオリンピック後に拡大するとみている人が少なからずいることは驚きだ。
 その根拠は分からないが、少なからず期待感がこめられている気がする。
  しかし、いつの世も「祭りの後」は静寂な時間が流れると相場は決まっている。
2020年1月6日
   プログレス
  2019年も残り少なくなった。
 「このままでは本当に倒産するのではないか」と思われた企業が年の瀬も迫って急に提携を決めた。
 ひとつは業界最大の注目だったジャパンディスプレイで、もうひとつは業界外だが大塚家具だ。業界外だが大塚家具は買い手がヤマダ電機だから、どちらも業界の出来事とも言える。
 いずれにしても両社ともこれでひと安心ではあるが、当面のヤマを越えただけでこれで一件落着したとは思えない。
 ジャパンディスプレイは、前回の中国投資ファンド、ハーベストグループなどを中心とする投資グループのときの例もあるので、最終合意に漕ぎ着けるまではやはり予断を許さない。さらに言えば、最終合意をしてもそこからの再生はまた別問題である。現状では液晶市場にさらに大きな可能性があるとは考えにくいし、新たな事業展開もまだそこまでの可能性は示せていない。
 大塚家具の方は、20年春には資金ショートすると言われていたのが回避できただけであり、根本的にシナジーが生まれるかどうかは未知数である。仮にヤマダ電機とのシナジーが成果を挙げたとしても、それが大塚家具の実店舗に波及するかどうかは疑問だ。完全にヤマダ電機の家具部門として生きていくというなら別だが・・。
 ただ両社とも一歩前進したことは確かだ。
 「あと一歩、もう一歩前に」
 人も、会社も、毎日はその繰り返しだと思う。
2019年12月15日
   鷺と烏
 新宿の駅前で、通行人にZOZOTOWNで使える3000円分の商品券が手当たり次第に配られていた。
 「始まったな」と正直感じた。
 かつてヤフーは、ポケットティッシュを街角で配るように、パソコンのネットワーク接続用モデムを通行人に無料で配り、顧客を獲得していった。モデムのばらまきには冷ややかな批判もあったが、結果的には成功したと言えるだろう。
 モデムの無料配布に比べれば、商品券の配布など何でもない。ヤフー傘下でのZOZOTOWNの今後に注目したい。
 そしてもうひとつ注目したいのは前澤友作氏の今後だ。
 創業社長が自分の会社をあっさりと手放した潔さは賞賛に値する。前澤氏が会社にしがみつかなかったのは事実だ。しかし裏を返せば、ビジネスモデルもそうだが、自社株を担保にして融資を受けていたという資金繰りは、株価暴落のなかでもう限界だったのだろう。
 潔さと、そういうきれいごとでは拭えない部分の双方があったと思う。
 さらに大きなインパクトがあったのはその辞任理由だ。
 前澤氏は「新しいことにチャレンジしたいから」という理由で会社を売却して社長を辞めたことになっており、会見には孫正義氏までその心意気に感動したと言って同じTシャツを着て駆けつけていた。自分自身に対しても、そして周囲に対しても、挫折したのではないというところを正当化してみせた。
 凡人には真似ができない芸当だ。
2019年10月1日
   遠い記憶
 令和となって最初の8月15日が過ぎた。
 昔は8月15日というと、テレビも何社かは必ず戦争関連の特別番組を組んだが、そういう動きも年々減っている。
 数えてみれば終戦から74年である。74年も経過すれば、いくら日本が高齢化になっているとはいえ、戦争体験をしっかりと記憶している人は最早そう多くはない。日本が戦争をしていた時代のことを、しっかりと自分の言葉で語れる人となると、さらに少ない。
 それは風化ということかもしれないが、逆に言えば平和の証(あかし)でもある。
 過日、現役の国会議員が「もう戦争するしかないでしょう」と発現して顰蹙を買い、非難を浴びたが、これとても裏を返せば、日本はそれだけ平和だとも言える。
 世界では、戦争発言やそれに対する非難が沸き起こる間もなく、実際に銃弾が飛び交っている地域がある。
 他人事ではない。米中貿易摩擦、日韓関係悪化、北朝鮮の相次ぐミサイル発射、香港の抗議デモなど、日本をめぐる関係も決してのどかな状況ではない。しかしこれも「緊張状態になっている」と言われているうちは平和な時代であるとも言える。
 戦争は遠い記憶だ。
 遠いことに価値がある。
2019年8月17日
   微笑の法則
 大阪で開かれたサミットを機に行われた米中首脳会談で、まさかの「一時休戦」が表明された。
 米国による対中国の関税引き上げも唐突だったが、棚上げも唐突だった。北朝鮮に対する外交政策も同様で、2020年の大統領選挙を控えて、どちらもこれ以上の泥沼化は避けたいということなのだろうか。米中貿易摩擦も、米国の北朝鮮外交も、実はなんら具体的な解決に踏み出したのではないのだが、トランプ大統領が笑顔で握手した点は前進である。たとえその笑顔の下に何かが隠されていたとしても・・・。
 そんななか、今度は安倍首相が韓国への半導体主要材料の輸出規制を発動した。韓国も対抗措置をとってくるだろう。米中が一時休戦になったと思ったら、今度は日韓である。こちらはどんな形に今後展開していくのか、予断を許さない。今のところ安倍首相と韓国の文在寅大統領が笑顔で握手する姿は想像できない。
 米中は所詮利害の争いだが、日韓はもう少しねじれている。歴史的な背景の方が大きい。根は深い。
 しかし新大久保で日本人と韓国人が雑居している様子をみると、日韓関係のねじれなど嘘のようだ。新大久保の風景が実像なのか、緊張が続く日韓関係が実像なのか、新大久保の街並みを歩くとわからなくなる。
 いずれにしても、新大久保を行く日本人や、新大久保に移り住んでいる韓国人の笑顔には屈託がない。奸計も感じられない。それでいいのだろうと思う。
2019年7月7日
   ドナルドトランプとジェームスディーン
 他紙でかつて「消費税引き上げの延期はありうる」と書いたことがあった。
 既に6月になり、さすがに今回は延期しないだろうという流れとなったが、安倍首相は先頃「リーマンショッククラスの出来事がなければ、引き上げは予定通り実施する」という微妙な言い方をした。裏を返せば、リーマンショッククラスの景気変動要因があれば、たとえ直前でも延期をするということを追認したようなものだ。
 現状はじわじわと景気が悪化している。
 このままいけば、どこかでリーマンショッククラスのショックは起こりうる。その前に景気の落ち込みが底打ちすれば別だが、大きな要因となっている米中貿易摩擦には出口が依然として見えない。
 消費税引き上げの延期があるか、ないかより、実は最悪なのは、消費税を引き上げた後にリーマンショッククラスの出来事が起こることだ。むしろその可能性の方が高いかもしれない。
 米中の関税引き上げに、某大手メディアは「チキンレース」という表現を用いた。
 チキンレースというと、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」のワンシーンを思い出す。ジェームス・ディーンのチキンレースは格好よかったが、大国同士のチキンレースはいただけない。
2019年6月15日
   降り積もる雪のように
  「令和」の時代となり、「平成」を回顧する報道が多く目についた。
 最初は冷ややかに見ていたが、次第に感慨深い気持ちになった。
 当然といえば、当然かもしれない。年末にはその1年を回顧する機会が多くなるが、今回は30年分で、改めて刻まれる思いも少なくない。
 さらに言うと、いつも年始には気持ちが新たになるが、改元でも同じ思いを味わった。30年分の回顧と同じ重さの決意は難しいが、新たな気持ちにはなった。
 平成は、ほぼバブル崩壊に始まり、経済的には「失われた時代」と位置づけられがちだが、昭和後期の高度経済成長を考えれば、停滞はむしろ当然だと思う。ひたすら突き進んだ高度経済成長期が終わり、多くの人間が浮かれていたバブルが弾けた。平成という時代は「豊かであることの価値観は多様である」ということにむしろ気づかされた時代だったのではなかったのだろうか。そう考えると、失われたのではなく、冷静さを取り戻した時代だったとも言える。
 大伴家持は、万葉集で「新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事」と詠み、新しい年に「いいこと(吉事)がたくさん積もるように」という願いをこめた。
 令和という時代では、多様化する価値観のなかで、皆がそれぞれの吉事を積み上げていくに違いない。
2019年5月4日
   人生それぞれ
 新元号が「令和」に決まり、新元号を冠した商品が世に出回りそうだ。
 なかでも目を引いたのが、あのボードゲーム「人生ゲーム」の令和版である。
 興味深いのは、これまでの人生ゲームと違い、お金ではなく、フォロワーの数を競うという点である。
 従来の人生ゲームは、億万長者になることが勝者だったが、令和版ではその考え方を捨てた。キャッチコピーはずばり「人生の価値はお金だけではない。お札のない人生ゲーム」となっている。
 ゲームの世界もそこまで来たか、と思った。しかし価値観が「お金」ではないのはいいが、その代わりの目的が「フォロワーの数」というのは、いささか拍子抜けする気もする。お金が絶対的な価値観という時代ではないとは思う。しかしその代わりがフォロワー数でいいのだろうか。
 ボードゲームのコンセプトだから、そこまで深刻に考える必要はないのかもしれない。だが「人生の価値はお金ではない」とまで言うのなら、お金に代わる価値観として、充実感とか満足感とか、もっと精神的なものであってもよかったのではないか。あるいは「絶対的な価値観などない」というようなゲーム(人生)そのものを楽しむようなものでもよかったと思う。
 お金の代わりがフォロワー数なら、個人的にはまだお金の方がマシな気がする。しかし世の中にはお金よりフォロワー数が大事という人が結構いるのかもしれない。ゲームも、人生も、価値観は人それぞれだ。
2019年4月7日
   トップの自信と驕り
 ベトナムのハノイで行われていたアメリカトランプ大統領と北朝鮮金正恩委員長の2回目の会談は、経済制裁の中止と非核化の内容を巡って折り合わず、共同声明を出すことが出来なかった。
 色々な見方があるだろうが、個人的には大きな驚きをもって受け止めた。
 「ICBM(大陸間弾道ミサイル)の廃棄と引き換えに、経済制裁を中止する」などという日本にとって最悪の結論にならないでよかったと言う人もいるが、そういうことではない。
 事務方レベルの交渉で合意の見通しがあったから、トップがわざわざベトナムにまで行ったのだろうと思っていた。最終的に合意しなかったということに、金委員長だけではなく、トランプ大統領の独裁ぶりが浮き彫りになったと思う。
 官僚が牛耳って、すべての段取りをつけて最後に政治家がサインをするだけというどこかの国の政治状況から考えると「最後に決めるのはトップの人間」というのは健全な姿とも言える。しかし大統領が手ぶらで帰るとは思いもよらなかった。「(トランプさんを)手ぶらで帰すわけにはいかないぞ」と言う人さえいなかったということか。
 自分で決めるし、プライドとかもあまり関係ないのだろう。損得で判断する。トランプ氏の本質はやはり経営者なのだろう。
 果たしてそういう人間が政治的なトップに立って、アメリカが、そして世界がどうなるかの評価はまだこれからだ。
 カルロスゴーンの例を引くまでもない。優れた経営者はとかく暴走しがちだ。それは自分の成功体験から「わたし失敗しないんです」と思っているからだ。
2019年3月3日
   いざなぎ景気を超えた減速感
 内閣府によれば、2012年12月に始まった景気回復が17年9月時点で4年10カ月(58カ月)に及び、「いざなぎ景気」(1965年11月〜70年7月の57カ月間)を超える戦後2番目の長さになったそうだ。さらにその後も続いているならば、2002年からの「いざなみ景気」も超えて戦後最長となる可能性があるという。
 統計にタイムラグがあるという側面はあるが、それにしても「どこが好景気?」という感想を抱いた人も少なくないだろう。
 実際には、昨年後半から企業の経済成長は明らかに減速している。
 比類なき勝ち組企業である日本電産は、今19年3月期の業績予想を今年初めに見直し、増収増益予想から一転、今期は減収減益になるとしている。日本電産の売上高が対前期比で減収になると、10年3月期以来実に9年ぶりとなる。
 日本電産の永守重信会長は、業績予想修正の会見において「11月、12月には尋常でない変化が起きた」と受注の減速をはっきりと認めた。繰り返すが日本電産は間違いなく勝ち組である。その日本電産をもって受注は減速しているのだ。
 昨年後半から在庫調整、生産調整が進んでいるのは間違いない。
 一過性のものか、長引くのか、今の段階ではわからないが、「いざなぎ景気」を超えたという発表には空々しさしか感じない。 2019年、平成最後の年が始まった。
2019年2月3日
   新しい時代に託す思い
  2019年、平成最後の年が始まった。
 新元号が始まる年と言った方がいいのかもしれない。
 新元号については想像もつかないのだが、平成という元号が戦争を経験した昭和という時代を踏まえてのものだったことを鑑みると、今度は平成という時代を踏まえての新元号になるのだろう。またそうでなければいけないと思う。
 そういう見方をすると、新元号は平成という時代を総括するという側面も持つ。
 平成とはどんな時代だったかと改めて思う。
 見方は様々だろう。バブルが弾けて経済成長が滞り、失われた時代が続いた。しかしそれでも日本国内に限定すれば平和だったと言える。昭和が終わったときに平成の二文字に託された思いは、かろうじて保たれたと言ってよいのではないか。
 新元号にどのような思いが託されるのか、発表の四月一日を待ちたい。
 そして新元号が終わるときには、その思いが叶えられていることを望む。
 さすがにそれは気が早いという謗りもあるだろう。
 ひとまず2019年がいい1年であることを望みたい。
 本年もよろしくお願いします。
2019年1月7日
   不都合な真実
  日産自動車のカルロス・ゴーン会長が逮捕された。
 カリスマ経営者だっただけに逮捕は衝撃的な事件だった。報酬の過少申告や有価証券報告書虚偽記載の容疑だが、コストカッターの異名をとっていただけに、改めて裏腹な印象は残る。
 ただ容疑者の人権という問題もあり、国際社会のなかで日本の検察(特捜部)の手法には批判もあるようだ。自動車市場全体への影響なども含めて、今後の趨勢を注目したい。
 それらのこともだが、ゴーン氏の巨額報酬や虚偽記載などがこれまで看過されてきた構図をむしろ指摘したい。
 記憶の新しいところでは、東芝の不正会計も結局同じである。
 どちらも組織ごと不正に関与して、その不正が隠蔽されてきたという構図はまったく同じだ。不正会計そのものより、その隠蔽体質に注目したい。発覚のきっかけが外部からの告発か、内部告発かという違いはあるが、それまで隠蔽され続けてきたということに変わりはない。
 これは大会社ゆえの問題ではない。
 東芝や日産自動車の場合だけではない。
 もっと小さな職場でも、そして学校などでも、全員が知っているが皆で隠しているというケースがあるのではないか。それは不正会計であったり、あるいはイジメだったりするのかもしれない。
 不都合な真実はどこにでもある。
2018年12月9日
   今が一番
   「長生きのリスク」ということが言われ始めた。
 いつからか。時代背景はいくつかある。医学の進展で人の寿命が大きく伸びるなかで、年金制度は既に崩壊寸前である。
 さらに核家族化や非婚率が高まり、人の暮らしが孤立していることもある。都市化が進み、社会のコミュニティも成立しにくくなっている。
 こうしたなかで、年をとることで逆に精神的にも経済的にも不安が増してくるという構造が生まれるのは必然だ。
 多分解決策はない。
 「長生きに備える」というのは保険会社のキャッチコピーに過ぎない。
 備えることが大切なのではなく、いつだって「どう生きるか」ということが大切なのだろうと思う。
 高校生のとき、加藤諦三氏の著書に感動して手紙を書いて出したら、サイン入りの著書を加藤氏から貰った。その著書には加藤氏自筆で「15歳には15歳の人生がある」と書かれていた。今でも宝物だ。
 そういうことなのだろうと思う。
 80歳になったら80歳の人生があるのだ。備えることが大切なのではなく、その時をどう生きるかということがすべてだと思う。老後のための「今」などナンセンスだ。
2018年11月4日
   読み手の力量と忖度の隙間
  人間の感情に幅があるように、言葉の与えるイメージにも幅がある。言葉を使う場合も、そして言葉を受け取る場合も、その幅を認識することは大切だ。
 交際関係などを問われて「いい友達です」と答える芸能人がいる。これはふたつの側面がある。ひとつは、いい友達に過ぎず、恋愛対象としては考えたこともないという否定の意味。相手に配慮して「いい友達」というオブラートに包む場合。そしてもうひとつは、恋愛感情を認めるわけにはいかないが、嘘がないようにとりあえず肯定でも否定でもない表現にとどめるという場合だ。実際には好意以上のものがあるが、今は公けにしたくないため嘘のない範囲の表現にとどめ、周囲に配慮する場合だ。
 聞く側はそのニュアンスの違いを憶測することになる。
 このところ企業の「不適切会計」が後を絶たない。「不適切会計」とは微妙な言い回しだが、誰がどう考えても実は「不正会計」という場合がある。今期に計上すべきものを次期に回した場合などはまだ「不適切」という言い方もできるが、完全な粉飾決算や捏造などは「不正」以外の何ものでもない。
 それでも会社側が「不適切会計がありました」というと、メディアはそれを踏襲して「不適切会計が発覚」と表現する。読む側は「実は不正である」とわかってくれるだろうと考えながら、明らかに配慮している。いまどきの言い方なら忖度である。
 「いい友達」はイエスなのか、ノーなのか。「不適切会計」は不正なのか、会計処理上の問題なのか。
 読み手側の力量も求められる。
2018年10月14日
   常識の液状化
   「そんなの常識だよ」という言い方があるが、常識とは何だろうか?
 常識の定義は様々だろうが、手元の広辞苑で調べてみると(いささか古い版だが)「普通一般人が持ち、また持っている標準知力」となっている。ネットで調べてみても類似した定義がなされており、これは広辞苑的な解釈に沿っているのだろう。
 しかし常識は、不変的なものではなく、流動的だ。
 学生時代、運動中に水を飲むのは厳禁で、それは常識だったが、今では非常識でしかない。肉食は健康のためにはよくないのは常識と言われていたが、最近は「肉を定期的に食べることは必要だ」などと専門家がしたり顔で言う。情報網が発達したことで、日本では常識のようなことも海外では案外そうではないことも我々は知るようになってきた。大手企業に就職が決まれば安泰というような常識的な価値観も今では揺らいでいる。
 もはや常識は変わるということこそ常識だ。
2018年9月10日
   ほんとうの気持ち
  普段は3食とも和食なのだが、週に1度は外食でイタリアンを食べている人がいる。
 その人は和食好きなのか、イタリアン好きなのか。あるいはその人が毎週イタリアンで外食しているということを聞いた人が「あの人は食通だ。毎週色々なイタリアンの店で外食している」と言う。その言葉は正確なのか。間違いではないのかもしれないが、少し違う気がする。
 哲学を語っているわけではない。
 話はAIだ。
 AIがその人の嗜好を分析する時代だ。何かを買いたいと思い検索すると、途端にキーワードで関連する商品の広告が出る。ネットショッピングもビッグデータにつながっているようで、ネットで買い物をするとすぐに関連商品の広告が出てくる。AIの力は侮れない。
 しかし「そこじゃない」と思うことがよくある。「それはたまたま買っただけだ」と突っ込みたくなる。AIが辿りついているのは、一過性の感情にしか過ぎない。
 ビッグデータかなにか知らないが、AIなんぞに自分の本当に本当の気持ちが理解されてたまるか、と思う。
2018年8月5日
   西野さん、半端ない
  萎縮していた者たちが解き放たれたことで躍動する。力を発揮する。しかしさらなる高みには届かない。そこには躍動感だけでは超えられない力の差があったようだ。
 それでも示された一定の成果はあった。それを前進と理解していいのか、勢いで踏み出しただけの一歩だったのか、今はまだわからない。
 それらはすべて、今は溢れている多くの感情が色褪せるくらい時間が経ったとき、はっきりしてくるだろう。
 いくつかの流行語も生まれた。「大迫半端ない」とは言わないが、「西野さん、ごめんなさい」とは言っておこう。
 勝ち負けとは関係なく、瀬戸際で見せた決断には、本当に痺れた。
 人は皆多くの決断を人生で迫られるが、なかなかあそこまでの思い切った決断はできるものではない。
 大迫が半端ないかどうかはわからないが、西野さんは半端ない。サッカーワールドカップが始まる。
2018年7月4日
   希望と、矛盾で、半分青い
  サッカーワールドカップが始まる。
 4年に1度の楽しみである。今回は海外強豪国が相次いで地区予選で敗退、日本代表についても直前で監督が交代するなど、個人的にはこれまでとは大会を迎える気持ちが異なる。
 イタリアやオランダが見られないのはただただ残念でしかない。
 日本についていうと、新監督の西野氏は経験豊かな立派な人物だと思うが、代表の強化を司る技術委員長という立場の人が就任するというのは筋が違うという気がしてならない。強化組織というのは第三者的立場に立たないと存在意義が極めて不透明なものになってしまう。「駄目だからわたしが」というのは中小企業の会長の発想でしかない。
 最終的な代表メンバーに新戦力がいないのも残念だった。「年功序列」という批判に猛反発した選手がいた。選手の立場からすれば当然「実力で勝ち取った」ということだろう。そうだろうと思う。ただひとりのサポーターとしては新鮮味がないと映る。ベテランで固めてくれていいのだが、せめてもう少しオリンピック世代の選手が入ってほしかった。直前の試合で大活躍した選手もいたのだから。
 いずれにしても、スポーツの世界は結果が出る。そしてある意味その結果がすべてだ。こうした意見がすべてねじ伏せられるような大会になれば、日本代表になれば、言うことはなにもない。
 いろいろ言いながらも寝不足の1カ月間が始まる。
2018年6月10日
   無理が通れば道理が引っ込む
  世界卓球で、突然、韓国と北朝鮮が合同チームを作った。
 大会前ではなく、大会途中の出来事で、そのため韓国、北朝鮮戦はなくなり、次の日本戦は韓国・北朝鮮の合同チームとの戦いに変更された。
 日本代表チームおよび選手は、当然ながら韓国と北朝鮮戦の勝者単独チームを想定して準備をしていたはずだ。急に「合同チームになりました」というようなことが、平和というスローガンのもとで許されていいとは思えない。
 そもそも北朝鮮のにわかに始まった平和外交も相当怪しいものだ。「体制維持を約束するのなら核保有の理由はない」という言い方そのものも微妙だ。仮に核を廃絶するということになったとしても、その条件が「体制維持」すなわち「金正恩独裁体制の容認」という私的な要求であることには疑問符が残る。北朝鮮国民の利益は完全に置き去りにされている。
 もともと自ら始めたミサイルや核開発を「やめてもいい」と言い出しているだけのことだ。
 それなのに色々と筋が通らない話がまかり通っている。
2018年5月6日
   シェアビジネスが生む没個性
  リユース&シェアビジネスが隆盛である。
 不要になったものを個人がネットに提供して、それを必要とする人が購入する。あるいは車も常時乗るわけではないが、必要なときに乗れるように、個人で所有せずにシェアする。最近はバッグやアクセサリなど小物においても、こうしたシェア、あるいはレンタルするビジネスが始まっている。
 無駄がないといえば無駄がないのだが、日本経済全体を考えた場合、プラスなのかマイナスなのか、とも思う。
 本来なら、自動車でも、洋服でも、小物でも、売れた方が経済の活性化につながる。ひとつの洋服が多くの人に着回しされ、自動車やアクセサリが共有されていくことで失われた消費があることは否定できない。
 またもうひとつ問題なのは、こうしたリユースのネットショップ利用者は、購入する場合にも最初から不要になったときのことを考える傾向があるということだ。すなわち、ネットショップで売れるように、あらかじめ購入する場合にも最初からデザインなど無難でスタンダードな製品を選ぶ傾向になるというデータがある。
 多くの物がシェアされていくことで、経済面のマイナスだけでなく、人の個性さえ失われている。
2018年4月2日
   3秒ルールの時代
 各社3月期の趨勢が見えてきた。概ね好調なところが多いが、減損損失などで欠損になるケースも少なからずある。
 かつては決算書を見ても、「含み損」や「含み益」は類推するしかなかったが、会計基準が厳しくなり、とりわけ上場会社では決算書に随時反映させるようになった。実勢に近くなったという言い方はできるが、割り切れないところもある。
 資産価値は流動的ということもあるが、期間で区切って随時反映させていくと逆に中途半端に潜在的な価値(損失)が浮き彫りになってしまうマイナス面もあるような気がするからだ。
 食品においても、最近はすべての製品に「賞味期限」があり、期間を経過するとどんどん破棄されてしまう。本来ならば全然問題のないものまで、無駄に破棄されていく。廃棄ロスは今や社会問題でもある。昔はずっと商店の棚に置かれていたものでも平気で売られていた気がする。
 子供の頃「3秒ルール」というのがあった。今考えると乱暴な話だが、落ちたものでも3秒以内に拾えば大丈夫ということで平気で食べていた。
 かつては万事おおらかだった。
 おおらかな時代の方が社会も経済成長を遂げており、人々も元気だった気がするのは気のせいだろうか。
2018年3月12日
   まだまだ小僧
 小説でもそうだし、映画でもそうなのだが、若い頃には理解できなかった世界観を、年齢を重ねることで理解できるようになるということがある。
 それは何に起因するのかと考えるが、読解力が増したというような単純な話ではなく、やはり経験を積んだことで想像力が広がったのではないかと思う。
 自分が子供を持つ前には、子供の可愛さというのがよくわからなかったが、自分が子供を持つと、他人の赤ちゃんでも可愛く思えるようになる。よく年配のご婦人などがしきりに小さい赤ちゃんに話しかけている。あれは自分の子育ての経験や、孫とのふれあいを通じて、小さい子の可愛さを知っているからなのだろう。
 それとおそらく同じことだ。
 人生経験を積むと、若い頃にはなかなか理解できなかった世界観が理解できるようになってくる。
 かの渋沢栄一は「40、50は、はなたれ小僧。60、70は働き盛り」と言った。
 小僧の時代を過ぎてから、人にはようやく見えてくるものがあるのかもしれない。
 小僧の時代の先に見えるものが楽しみだが、それを見るためには老眼鏡が必要だというギャップもある。
2018年2月11日
   新時代に向けて
 新しい年を迎えた。
 2018年のトレンドや景気を予測するのは難しい。しかし緩やかに進むか、劇的に加速するかは別にして、自動車の自動運転化、Iot(Internet of Things)社会の進展など、生活のすべてがエレクトロニクスで制御可能となり、インターネットで繋がる時代に踏み出していくことは間違いない。
 そうした社会においては、電子部品メーカー、電子機器メーカー、電子部品商社の事業領域は、従来と比べると格段と裾野が広がるだろう。これまで予想もしなかったものまで、ネットワークとの接続が求められ、複合的な役割を担う時代がすぐそこまで迫っている。
 別な言い方をすれば、そこにはまったく新しいビジネスチャンスが隠れていることになる。しかしそれは、裏を返せば、どこかで既得権益を失う者がいるということでもある。
 石炭、鉄鋼、石油にかつて携わってきた人や企業の盛衰はエレクトロニクス業界のなかでも個別に日々起こってくるに違いない。
 これからは、以前よりさらにしっかりと明日の方向性を見極める情報力が必要となる。
2018年1月5日
   劇場型日常
 最初の劇場型犯罪はグリコ森永事件と言われる。
 グリコ森永事件は1984年から85年にかけて起きた事件だから、実際には1968年に起きた三億円事件の方が前である。しかし三億円事件の犯人は沈黙したままだったが、グリコ森永事件は犯人あるいは模倣犯を含めてその後も挑発的行為が続き、それをメディアも追った。「最初の劇場型犯罪」と言われる由縁である。
 メディアの発達、SNSなど個人からの情報発信の進展から、現在は犯罪だけでなく、ありとあらゆることが「劇場型」になっている。
 こうしたなかで、犯罪ではないが、最近起きた俳優とタレント女性の離婚騒動などは極めて劇場的な出来事だった。
 しかしこのケースは、劇場を作りあげているのは最早メディアではなく、当の本人だったと思えてならない。当事者が自意識過剰なまでに劇場を意識して、メディアがそれを追ったことで、結果的に劇場型がそこに形成されてしまった。
 そこで演じられたものが必ずしも良質だったとは思えない。それを承知でメディアは乗ったのかもしれないが、離婚というような個人的なことさえ劇場化していくことには一抹の不安を覚える。タレント女性は劇場に立つことを意図したのだろうが、俳優側はひっそりと離婚することを望んでいただけだったという気がする。
 無論、俳優という職業ゆえではあるが、離婚の経緯や病歴までメディアが伝えるというのは正しい姿なのだろうか。最早、日常でさえ劇場のように晒される時代になっている。
2017年12月18日
   次の時代
 急速に新時代の到来を予感する。
 AI(人工知能)の開発は加速している。自動車はやがて自動運転になりそうだし、スマートスピーカやスマホの音声認識などは既に普及段階にある。遠からず、多くの動作が機械への指示ひとつですむ時代になりそうだ。
 便利な時代になりそうだが、半面、体を動かさなくてもすむという生活には不安も覚える。
 技術が進化するにつれて、個人レベルでは逆に退化を、そして平均化をもたらしてしまうのではないかと思える。
 「おいしいイタリアンのお店を教えて」
 「お勧めの音楽をかけて」
 という問いかけに対するAIの答えは平均値でしかない。勧められたレストランがそうでもないなと思ったことは一度や二度ではない。ヒット曲に自分も「いいな」と思うことはむしろ少ない。
 新時代では、マイノリティはどんどん淘汰され、体を動かさない馴らされた人間が増えていくと考えると、怖くなる。
2017年11月7日
   シャルウイダンス
 インスタ映えというのが飲食店や観光地の重要なファクターになっている。
 SNSがこれだけ普及すると、それは自然な流れなのかもしれない。しかし味や雰囲気で店を決め、店側もそこを競うのが本来の姿のはずだ。1番重要なのは「インスタ映え」で、味は2番目という話になると、そこは少し違うのではと思う。
 しかし同じようなことは昔からあった。
 子供の運動会でビデオ撮影に一所懸命になるあまり実際にはあまり見られなかったとか、旅のついでに集め始めたものがいつしかそれを集めるのが主目的になるとか、目的がすり替わってしまうことは、実は多い。
 衆議院選挙が告示された。
 消費税増税の使途を問うというのが最初のスローガンだったはずだが、いつの間にか政権交代を問うことになっている。思惑と違い始めた自民党のなかでは、解散すべきではなかったという声もあがっているようだが、それはもう最初のスローガンが方便だったことが完全に露呈している。
 政策ではなく、今なら勝てると安倍首相は考えたのだろう。
 本当の姿はいつでも隅に置かれる。
 誰もが目先のことに踊らされている。
2017年10月10日
   そして誰もいなくなった
 人工知能(AI)関連のビジネスが広がっている。膨大なデータ処置が可能なAIを活用していこうという考え方そのものは自然な流れだろう。
 既に某大手企業では、就職活動のエントリーシートにおいてもAIによる判断を取り入れている。文章表現力の判定もだが、同じような内容のものを複数企業に使い回しているケースも判別できるという。それでも最終判断は人の手によるようだが、一部をAIで判断させることで効率化を図るのが狙いだ。
 確かに読みにくい文章というのはあるし、使い回しを感じさせる文章もある。文章を読み慣れた人はそこに気づくのだから、AIがそれをできても不思議はない。
 一方、ある役所においては、ゴミ処理の選別についての疑問をAIが自動的に答えるというコーナーがある。過日そこに「旦那」と入力したときの回答がネット上で話題になった。
 それは「本当に!!『人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する』ってアルマン・サラクルーは言っていたよ。忍耐力を鍛えてみたら、どうかな」というものだった。
 この回答が粋だということで評判になったが、これも人間ならば同じような回答をすることもあるだろう。
 どちらの場合もそうだが、その場面で経験を積んだ人間ならできるようなことをAIがやっているだけだ。
 AIはまだまだ進化途上だ。まだ驚いている段階だが、いずれ人が想像できないようなクリエイティブな発想をAIが始めるときが来るだろう。
 多分そのときは、もう人はAIのことを話題にしなくなっているに違いない。
2017年9月4日
   必定の道
  民事再生を申請したタカタの高田重久会長兼社長は会見において、負債額は、「再生手続きの中で固まっていくので、概数も現段階では認識していない」と答えた。リコールをメーカーサイドが立て替えているという特殊要因があるのは確かだが、公然と「(負債額の)概数さえ認識していない」と言い切られると、釈然としない。
 また今回のリコールについても、「(一連の問題が)なぜ起きたのか非常に不可解だし、いまだに(問題の)再現性がない」とも答えている。たとえ事象が自社製品に起因することが納得できないにしても、死亡事故にまで発展しているのだから、これは言うべきではない。
 さらにこれまで表舞台に出てまったく謝罪をしなかったことについて問われたときにも、
 「多くの方から『再建プロセスについて直接語るのは適切でない』『外部専門委員会に任せて、余計なノイズを発するな』という指摘がありましたので、客観的なこと以外の言動は控えることにした」と述べている。周囲の言いなりになったというのだろうか。代表者として、まず謝罪と思いを述べたいという考えには至らなかったのだろうか。
 創業者や先代が築いたタカタという優良企業がなぜ倒産に至ったか、その原因のひとつを垣間見た気がした。
2017年7月6日
   右も左も高齢者
  77歳の妻が69歳の夫の下腹部をはさみで切りつけたかと思うと、88歳の男が隣に住む68歳の女性を金槌で殴打するという事件も起きた。無論その行為は到底許されることではないが、70、80でも人を襲うぐらい元気な人は多い。
 世の中には定年後も働きたいと思う人が少なくない。多くの会社は65歳が定年ということになっているだろうが、定年まで働けないケースもある。
 60、70でも元気であれば、まだ働きたいという思いは強いだろう。経済的にもまだまだ働かないと生きていけない場合も多い。しかし現実には、60を過ぎても働ける場所というのはそれほど多くはない。
 一方で保育所の人手不足が社会問題化している。保育士がいないこともあり、保育所や託児施設は受け入れられる児童が限定され、預ける施設がないというのを最大の理由に次の子を断念する若い家族もいる。ほかにも人手を確保できないために閉店を余儀なくされる飲食店などもある。
 日本は今や70歳以上が人口の2割に達する国家である。
 乱暴な言い方かもしれないが、高齢者同士が争うそのパワーを、もう少しうまく活用するスキームは考えられないものだろうか。
 しかしそれを考えて、実行するのもまた高齢者なのだろうか・・。
2017年6月18日
   明日のために
  ある調査によれば、起業してから1年以内で30%の会社が倒産しており、さらに起業から3年以内では半数の50%が、10年では97%までの会社が倒産すると言われている。データの信憑性は定かではないが、ともかく多くの企業が日々倒産あるいは事業閉鎖していることだけは間違いない。そして10年を超えればひと安心かというと、当然ながらそんなことはない。そんな都合のいいボーダーラインがあるわけがない。上記の調査集計にはないが、むしろ筆者の感覚では、業歴の長い会社の倒産、事業閉鎖の事例がこのところ増えている気さえしてならない。
 原因はいくつかあるだろうが、時代の変化が大きくなり、老舗企業あるいはその取り巻く業界そのものの市場規模が縮小してしまっているケースも少なくない。パチンコホール、ゲームセンター、書店、出版取次店など、かつて隆盛だったところがあっけなく倒産する背景には、市場が縮小するなかでその変化に対応できなかった企業の姿がある。時代とともにビジネスモデルが変わるのは当然で、その変化にどう対応していくかが事業継続には不可欠となっている。
 実際に、業歴が長く、今でも活況な会社は、創業時から少しずつ変化を遂げているという場合が多い。
 任天堂は花札やトランプのメーカー、ユニクロはもとはといえば山口にあった個人営業の衣料品店、ニトリは北海道の家具小売店だった。
 ともに創業時の形にこだわっていたら、現在の盛況はないだろう。いずれも巧みに事業転換しながら会社を大きくして、今や日本を代表する企業となっている。
 3社とも一気に違う業種に変わったわけではない。少しずつ変わっていき、振り返ると、同じ業態にありながら創業時から実態は大きく変わっているというところが興味深い。
2017年5月7日
   祭りの後
 オークションなどで値段がどんどん跳ね上がっていく光景を時々見かける。
 美術品などは値段があってないようなものだから、ほしい人が多ければ、それは当然のことなのだろう。しかしそこにはその場の雰囲気というか、バイヤーの意地のようなものも微妙に影響しているような気もする。
 庶民には及びもつかない感情だが「高値になってしまったなぁ」と溜息をつくことなどもあるのではないか。
 電子部品商社、ソレキアをめぐって富士通とフリージア・マクロスの佐々木会長がTOB合戦を繰り広げている。
 最初は2月3日に佐々木会長が2,800円で始めたTOBだが、富士通が3,500円で対抗的TOBを表明したあたりから熱気を帯びた。その後佐々木氏が3,700円、今度は富士通が4,000円、さらに佐々木氏が4,500円と価格を引き上げ、4月5日に富士通は5,000円にまで引き上げた。
 ソレキアは技術系だが基本は商社なのでそこまで特別な技術があるわけではない。業績面でも16年3月期は赤字だし、純資産も50億円強だ。
 さきに上場した「ほぼ日」の糸井重里社長がIPOの初値が過熱したのを振り返り「(自分たちは)そこまでの美人ではない」と言い、さすが一世を風靡したコピーライターらしい言い回しだと感心したが、ソレキアもそこまでの美人とは思えない。
 熱気を帯びたTOBが終わったとき、そこにはどんな感情が残るのだろうか。
2017年4月6日
   Why American People
 日本は不思議だ、とアメリカ出身のタレントは言うが、アメリカだって不思議だ。
 アメリカの新大統領は移民の入国を制限しているが、そもそもアメリカは移民の国だったはずだ。コロンブスまで遡る必要はないのかもしれないが、アメリカは移民が作った国じゃないのか?
 メキシコとの国境に壁を建設する? 国境すべてに? さらに壁を一方的に建設して、その費用をメキシコ側に負担させようと主張している。隣の家との境にフェンスを作り、請求書を隣の家に送りつけるという考え方は日本にはない。
 新大統領はアメリカの白人中間層の支持が多かったと言われる。彼らは移民によって自分たちの領域が荒らされていることに不満を覚えており、古きよきアメリカの普通の暮らしを守ることを望んでいるのだという分析がある。しかしそれを実現しようとしている新大統領は、普通の暮らしぶりとは対極にあるブルジョアジーの極みのように見えるが、そこに矛盾はないのか?
 アメリカは関税などで保護貿易を訴えているが、アメリカはアメリカンドリームに象徴されるような移民でも誰でもつかむことができるチャンスに満ち溢れた社会ではなかったのか? そしてそれは保護貿易とは対極にある自由競争から生まれるものではないのか?
 大声で言いたい。
 「Why American People」
2017年2月13日
   親近効果
 第一印象が大事だとよく言われるが、逆に最後の出来事が最も印象に残るという定説があり、これを親近効果という。
 2017年、平成29年という新しい年を迎えたばかりだが、2019年には新元号になる見通しとなった。
 「平成」は30年余で幕を下ろすことになる。
 「昭和」は戦争もあり、高度経済成長もあり、バブルもありと激動だったが、「平成」はどうだっただろうかと思う。
 平成となってすぐにバブルが弾け、経済としては「失われた20年」がすっぽり入っている。震災もあった。「華やかな時代だった」「活気に満ちた時代だった」と言える時期は少ないようにも思える。ひとつのターニングポイントになるかもしれない東京オリンピックも新元号で迎えることになった。
 平成の最後の月日がそれまでの30年をすべて覆うようなポジティブな時代となることを願う。
2017年1月12日
   仮想の現実
 日本経済新聞社がまとめた2016年のヒット商品番付を見ると、東の横綱が「ポケモンGO」で、西の横綱は映画「君の名は。」だった。
 ほかに、大関にはやはり映画の「シン・ゴジラ」と、人工知能の「AI」。さらに以下の番付では「リオ五輪」「VR」などが並ぶ。
 横綱クラスは別にして、ランクが下の方になると、毎年納得できない部分と、「これ何?」と思うような知らない商品もあったが、今年は全体にほぼなるほどと思えるような商品が並んだ。
 しかしそうしたなかでふと思ったのは、総じて「仮想」のものがヒット商品で並んでいるということだった。
 東の横綱は仮想空間でのゲーム、さらに西の横綱と東の大関は映画、それも現実の生活を描いたリアルな映画ではなく、ともに現実にはない状況を描いた作品だった。
 「VR」はまさに仮想空間だし、オリンピックやAIもどこかで一般庶民にとっては現実離れした世界とも言える。
 改めてそう考えると非常に奇妙な印象を受ける。
 誰もが「現実」から逃れたい深層心理があるとすれば、それこそ「哀しい現実」だ。
2016年12月11日
   まだ最悪ではない
 シェイクスピアのリア王に「これが最悪だと言えるうちは、まだ最悪ではない」という台詞がある。
 次期アメリカ大統領にドナルド・トランプ氏が決まった。最初は泡沫候補と言われ、共和党の統一候補になったことさえ奇跡と言われていたが、ついに大統領まで登り詰めてしまった。
 今後は、選挙期間中の過激な発言がどこまで実行されるかを世界中が固唾を呑んで見守ることになる。日本の電機業界や自動車業界も対策を迫られることになるかもしれないし、日本の防衛面で大きな変化が起こる可能性もある。
 思い起こせば、今年6月のイギリスのEU離脱も「想定外」だった。識者の予想も、直前の世論調査も覆し、イギリス国民はEU離脱を選んだ。
 トランプの勝利も、イギリスのEU離脱も、理由はさまざまだろうが、根底にあるのが「変化への期待」であることは言うまでもない。おそらく世界中の多くの人々が現実への閉塞感に苛まれているのだろう。
 これは危険な側面もある。閉塞感がテロを生み、戦争の火種になるからだ。そうならないように、イギリスはEU離脱、トランプが大統領になり変化が進むのなら、それはいいことかもしれない。
 後になって「終わりの始まり」だったなどとならないことを強く願う。
2016年11月14日
   倒れるか、中から腐るか
  某公的機関が弊社サイトの記事タイトルだけを統計的に集計して、電機業界における工場進出の傾向を探るリポートに引用していた。
 特にご挨拶がなかったのでいかがという思いもあるが、とりあえずそこは置くとしても興味深かった。ただその公的機関は弊社サイトの会員ではないので、一般サイトで見られるタイトルからだけの集計となっており、実態にそぐわない側面もあった。しかしそれはそれとして、ひとつの断面は確かに見えていた。
 そんなこともあり、自社サイトのなかでどのようなキーワードが多く使われているかと改めて調べてみた。
 日付とか、自社の社名とか、電機とかいうようなものを除くと、「倒産」や「破産」がやはり多く、これは弊社サイトの特徴のひとつなので当然のこととして、「参入」「撤退」というキーワードが多い結果となった。
 電機業界だけでなく産業とはそういうものだと思うが、やはり工場進出や市場参入などの一方、市場撤退や倒産があり、そういう新陳代謝とともに変化して企業は生き残っていくのだろう。逆に言えば、市場参入など新たな展開を繰り返していかないと、組織は衰退の道を辿るのかもしれない。
 豊洲移転で都庁のマンネリ体質による利権問題が言われている。新陳代謝がなくとも衰退せず生き残れるお役所という組織は、中から腐敗していくようだ。
2016年10月2日
   遠きにありて思うもの
  「角栄」ブームなのだそうである。
 田中角栄という政治家がなぜか再評価されている。
 確かに、あれだけの力を持った政治家は、いい意味でも悪い意味でも現代にはいない。その剛腕ぶりは際立っていたように思うし、あの独特のキャラクターについても「愛される」対象なのかもしれない。
 しかし、田中角栄と言うと、やはりロッキード事件という戦後最大の汚職事件の張本人であり、真相の一部が謎に包まれている部分もあり、大きな疑獄事件の中心人物であったという側面が否めない。そこを置いての「再評価」には疑問も残るが、田中角栄という政治家が不思議な魅力に溢れていたのは否定できない。
 一方「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子をモデルにしたドラマが高視聴率になっている。
 雑誌「暮しの手帖」は、終戦直後に創刊され、女性をターゲットに、暮しのなかで役立つ情報を提供し続けている。今なお現存しているが、やはり大きなインパクトがあったのは、戦後の物がない時代に「女性の暮し」に着目したそのスタンスだろう。
 もしかすると、今の日本人は戦後の高度経済成長時代に憧れているのかもしれない。今よりもはるかに貧しく、不便だったが、生き生きとしていたあの時代に。
 東京タワーは今日も美しい。
2016年8月20日
   雨を乞う人、怖れる人
 関東地方では記録的な雨不足が続いており、今夏はこのままだと取水制限がさらに引き上げられることが避けられない。半面、西日本では豪雨による被災などもあり、被災地では地盤が緩み、逆に雨を怖れるという逆の状況となっている。西日本の雨雲が関東に移動してくれないかと思う人は少なくないだろう。
 雨など自然現象は如何ともしがたいが、きちんとした配分がされればということは少なくない。
 自然現象の後の震災の復興資金などは、早く、的確に必要なところに渡ることが不可欠だ。企業経営も同様である。経営判断や人材の適材適所が有効に行われれば、安定的な経営維持が図れる。政治やインフラ整備も同じだが、どうも組織や利権が大きくなればなるほど、混迷を極めるようだ。公用車で別荘に通い、予算は使い切るのが原則では、有効な活用は望めるはずもない。
 日本の国債残高は1,000兆円になるのだという。有識者は国債残高というのは必ずしも国の借金ではないというが、返済義務があるお金であることは間違いない。
 不合理な資金使途が今日も回り回って国債を積み上げていく。
2016年7月11日
   言葉の重み
 広島を訪れたオバマ大統領のスピーチは素晴らしかった。17分に及ぶスピーチは、
 「今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。 〜(中略)〜 この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」
 と締め括られた。名演説だったと思う。
 しかし実際にはアメリカは核保有国である。核廃絶どころか、核軍縮の動きもなかなか難しい。言葉だけではなく、今後は行動でも示していただきたいところだが、そこはまた別問題なのかもしれない。
 一方、東京都の舛添知事は政治資金を巡る一連の問題について「すべてがクロというわけではない」と語った。すべてがクロではないということは、一般市民の感覚だと「大部分が事実(クロ)である」と認めたということになるはずだが、どうも責任をとるつもりは毛頭ないようである。すべてがクロではないというのは、逆にシロがあると開き直っているのだろうか。
 日米を問わず、どうも政治家の言葉はよくわからない。
2016年6月1日
   軋る車輪
 熊本で地震が起きた。熊本には多くの半導体関連の企業などが工場進出していた。人々の日々の暮らしを確保することが最も重要な優先課題ではあるが、日本の産業界にとっては現地工場の稼働再開も重要だ。1日も早い工場の再稼働が日本の産業と現地の人々の暮らしを支えることにもなる。
 かつては「天災は忘れたころにやってくる」と言われたが、東日本大震災からわずか5年である。タイの洪水も記憶に新しい。日本だけでなく、世界中で震災や洪水のリスクは頻発している。だからこそ災害時での経験を生かしていきたい。
 人も、企業も、今どこで何が足りないかを把握することが大切である。裏返せば、困っている地域ではそれを訴える発信も重要で、それが社会全体の回復につながる。
 The squeaking wheel gets the grease
 という言葉がある。直訳すると「軋(きし)る車輪は油を差してもらえる」となる。色々な解釈あるが「困ったときには声をあげれば誰かが助けてくれる」という意味が一番素直な捉え方だ。
2016年4月25日
   痩せたソクラテス
 会社を創業してしばらく後だったから、今からおよそ10数年前だったと思うが、雑誌の編集者との打ち合わせで「日本の電機大手は多くの市場製品を手がけ過ぎているため、企業競争力が弱い」という話になり「プレイヤーが多過ぎることによる市場再編」というテーマで企画が組まれたことがあった。
 あれから10数年が経過、電機業界大手のなかで市場再編が進むという予想はほぼ当たったが、予想を超えたことが多く起きている。
 まさかあの時点では、三洋電機が表舞台から消え、シャープや東芝が今日のようなことになるとは思いもしなかった。
 自分を含めて多くの人が「大手は得意分野に経営資源を集約して、うまく棲み分けが出来ていくだろう」という楽観的な見方をしていた。
 しかし実際には、中国の成長や新興国の台頭が加速的に進み、想像を超える事態が相次いで起きてしまった。周囲の大きな変化のなかで、大手は対応に後手をとり、気がついたときにはいささか手遅れになってしまったということだろうか。
 太った豚、満足した豚になってはいけない。
2016年3月22日
   人生劇場
 「劇場型犯罪」という言葉が最初に使われたのは、定かではないが1985年のグリコ森永事件の頃からのようだ。調べてみても、それ以前にはあまりそういう表現はとられていない。
 実際には、グリコ森永事件以前にも「よど号ハイジャック事件」(1970年)や、機動隊と犯人とのにらみ合いおよび人質救出の模様が中継され、驚異的な視聴率をとった1972年の「あさま山荘事件」など、極めて「劇場的」な事件はいくつかあったのだが、グリコ森永事件以前にはまだそういうネーミングはなかったようだ。
 劇場型というネーミングがされたからというわけではないだろうが、最近の事件はますます劇場化が進んでいるような気がする。
 好感度の高かったタレントのスキャンダルはやりとりのラインが流出、元プロ野球選手の覚せい剤使用逮捕は報道陣が張り込んでいる前で行われ、シャープの資本提携はワイドショーで台湾ホンハイ側郭台銘会長の動向が生中継された。
 ラインにおける会話の流出は記憶にないし、資本提携前から買収側の社長に大手メディアが密着してそれを中継するということもあまりなかった気がする。
 世の中はどんどん劇場化しているようだ。
 その割にわたしたちは身近な人や隣人の素顔を意外に知らない。
 近くの人間より、遠くの他人の暮らしぶりをあれこれ知りたがるのはなぜだろう。
2016年2月8日
   それぞれの秋
 箱根駅伝はもはや正月の代名詞とも言える。
 2016年、年明けの箱根駅伝は青山学院大学の圧勝で終わった。
 箱根駅伝は熱烈なファンも多く、駅伝を目標にしている学生も少なくない。歴史もあり、繰り広げられたドラマも数え切れない。
 しかしなぜか一方で「箱根駅伝不要論」というのが存在している。
 その理由は、駅伝があるから真のマラソンランナーが育たないということらしい。オリンピックで活躍できるマラソンランナーがなかなか出ないのは、箱根駅伝が多くの若者の目標になっているために、そこで燃え尽きてしまうからというのだ。
その論理が正しいかどうかはともかく、いや仮にもし正しいとしても、その考え方には疑問を感じる。
 百歩譲って「駅伝の存在がオリンピックでのマラソン金メダリストの誕生を妨げている」としても、なぜそれが「駅伝不要論」につながるか、その理由がわからない。どうしてすべての競技者がオリンピックを目指さなくてはならないのだろう。これだけ日本に根付いている競技を「オリンピックのために止めるべきだ」という人の気持ちがわからない。
 人にはそれぞれの道がある。大企業を目指す人もいるだろうし、独立して起業する人もいるだろう。役者や歌手を目指す生き方もある。ものづくりや人の役に立ちたいという人生もある。人はそれぞれであり、価値観もそれぞれである。
 オリンピックが絶対的な価値観のような考え方には疑問を覚える。
 箱根駅伝で燃え尽きる若者にもその後にはそれぞれの箱根駅伝の経験を生かした人生がある。
2016年1月4日
   はやりすたり
 2015年の流行語大賞として「爆買い」と「トリプルスリー」が選ばれた。
 「トリプルスリー」というのは何? と思った人も少なくないのではないのだろうか。説明を聞いて、そう言えばそういうことがあったと思ったし、それはそれで偉業だろうが、「流行語」になったとは到底思えない。
 流行語という括りでなく、それは出来事だったと思う。また出来事というのなら、ノーベル賞の複数受賞だったり、北陸新幹線の開通であったり、ラグビーだったり、データ偽装や粉飾決算だったり、まだまだほかにいくらでも話題になったものはあった。
 一方「爆買い」は誰も文句のないところだろう。こちらは2015年を象徴している流行語だった。
 さかのぼり、過去の受賞を見ると、世相を映していて面白いものもあるが、あまり流行したとは思えないものも多い。と同時に、確かにその年には流行したと思われるのだが、今ではすっかり影を潜めているものも少なくない。
 「はやり」には必ず「すたり」があるようだ。
 2015年の間違いなく流行語だった「爆買い」はいつまで続くのか?
 どういう経緯を通じて「爆買い」は過去のものになるのか?
2015年12月7日
   巨大な電子機器マーケット
 東京モーターショーに行ってきた。
 電機業界の展示会に行くと、4Kテレビなど最新製品目当ての一般の人も来るが、多くは業界関係者で、一般の人にはあまりぴんと来ないであろう電子部品の先端製品の展示なども少なくない。しかし東京モーターショーは自動車のニューモデル展示が主体ということもあり、来場者は圧倒的に自動車やオートバイのファンなど一般人が多い。
 自動車離れが言われて久しいが、そんなこともあってモーターショーは活気に満ちており、なかなかの盛況だった。自動車の人気は根強いという印象を改めて受けた。
 そんな自動車市場は年々電機業界との接点が増えている。既にカーナビやメータなどは電子機器そのものであり、エンジン回りもリチウム電池など搭載によって電子化が進む。
 そして注目されるのは自動運転システムであり、こうしたセンシング技術となるともう完全にエレクトロニクス製品の範疇となる。
 先ごろ93歳の女性が車で高校生をはねるという事故があった。また80歳代の男性が歩行者の列に車を突っ込んでしまうという交通事故もあった。どちらも高齢化社会が抱える問題の側面と言え、高齢化が進むと今後こうした事例はどんどん深刻化するとも思われる。
 自動運転はまだまだ発展途上であり、衝突がなくなることはそれでもありえないだろうが、自動運転システムの普及は高齢化社会の事故率減少につながることは間違いないだろう。技術が進めば、ナビやETCが今や標準装備されているように、自動運転システムも標準装備される日が来るに違いない。
 そうなると自動車はもはや完全に電子機器である。
2015年11月9日
   偽装の系譜
 人が人を騙す詐欺事件はそもそも偽装から始まる。ないものをあると偽り、あるものをないと偽るのは、人を騙す始まりだ。他愛ないもので言えば、美容整形やかつらも偽装と言えば偽装である。
 偽装は個人のレベルだけではない。企業にもある。
 かつて産地の偽装が相次ぎ発覚、批判を浴びたことがあった。メーカーが中国産の食品を国産と表示、有名ホテルも食材の産地を偽った。中小企業ばかりでなく、大手食品メーカーや老舗ホテルなどの産地偽装も明らかになり、信用が損なわれたのは記憶に新しい。
 そして今度は、東芝、VW(フォルクスワーゲン)である。
 日本を代表する国際的メーカーが過去何年にもまたがり粉飾決算を重ねていたことの驚きも色褪せぬ間に、世界有数の自動車メーカーの偽装ソフトが発覚した。決算の粉飾も相当ひどい話だが、あらかじめ排出ガスの数値を下げるソフトを販売車に組み込んでいたとなると、これはもう個人や会社の部署の問題ではなく、会社ぐるみの悪質な犯罪と言わざるをえない。
 どうやら現代は、個人、企業、そして国際的に知名度が高い大手企業まで、ことごとく偽装している時代のようだ。
 こうなると次は国家の偽装が明らかになるのかもしれない。といっても法案通過などはもともと偽装の上に成り立っているのだが・・・。
 マイナンバー制度が始まる。偽装を正す制度の始まりが偽装に満ちているのは矛盾だ。
2015年10月5日
   ボディブロー
 一度転ぶと自転車にうまく乗れなくなる。人は失敗すると、またうまくいかないのではないか、という思いがどこかで残り、続けて失敗するということがよくある。スポーツでいう「勝ち癖」とか「負け癖」とかいうのも同じだろう。
 その話とは少し違う気もするが、株式投資で不安心理から売りが加速するというのも、通じるところはある。
 下落場面でも強気で買い戻す人が多ければ株式相場に大崩れはないが、一度痛い目に遭うと、小さな下落場面でも不安心理が勝り、売りが加速してしまう。
 バブル崩壊の後、株価がなかなかあの頃の水準まで戻らないのは、投資家が痛みを知ってしまったことが大きい。
 8月の下旬、日本市場をはじめとする世界市場で株式が乱高下した。市場はいったん落ち着いたが、先行きは不透明だ。
 世界的な景気後退感を示すデータに事欠かないのは確かだ。しかし本当に問題なのは、中国人投資家が景気の後退懸念や株式市場の下落を知ってしまったことかもしれない。爆買いをする中国人個人投資家がいったん痛みを覚えてしまったことは、この先、ボディブローのような形で、株式市況だけでなく景気にも響いてくる可能性がある。
2015年9月1日
   青年は荒野を目指す
 過日、犬用のベビーカーを目にした。
 正確には、ベビーカーというより歩行が困難になった老犬用で、まだ歩けない犬用ではなく、もう歩けない犬の介護用に開発されたものだった。
 製造したのは誰でも知っているベビーカーの大手メーカーだった。
 調べてみるとそのメーカーには、様々な用途の製品があった。形状や用途もだが、価格帯も様々なものを取り揃えていた。なかには某有名スポーツカーメーカーとコラボしてそのエンブレムをつけた数万円の製品もあった。その価格は、デザイン、速さ、乗り心地についている値段ではない。スポーツカーなら数千万円というそのブランドだけについている値段だと思える。これが結構売れているらしい。
 企業は、絶えず新しいものを創りながら、変わっていくものだ。変わらないものに憧れる気持ちもあるが、しかし変わらないものに人が憧れるのは、それだけ多くのものが変わっているという裏返しでもある。企業は憧れではなく、人が生きていく器である以上、変わり続けるのは当然だろう。
 だから企業は事業展開に絶え間なくチャレンジすべきだ。人もまた同様である。お笑い芸人が芥川賞を獲れる時代である。人も企業も可能性は無限だし、選択肢も多様に広がっている。逆に言えば、広がり過ぎていて選ぶのが難しいほどだ。
 そう思うと、この新宿の大都会も未開の荒野に見える。
2015年8月10日
   大人は判ってくれない
 フランソワ・トリュフォーの映画「大人は判ってくれない」では、社会のなかで成熟しきれない子供の感性が瑞々しく描かれている。どう受け止めるかは見る側次第だが、大人社会の価値観と、子供の感性の対比という構図が作品のテーマだ。
 最近「言論の自由」について考えさせられる出来事が続いている。
 ひとつは97年に神戸で起きた殺人犯の出版騒動。少年Aの手記出版である。遺族感情という論理もだが、そもそも殺人犯がその殺人を語るという行為さえ規制なく自由に行われていいのかという問題はある。
 議論の末に「サムの息子法」を制定したアメリカの事例は参考になるが、決定的な解決になるとは思えない。手記の印税という問題以前に、遺族としては出版そのものが許しがたいのではないかという気がする。
 さらにもうひとつ、作家の百田尚樹氏が自民党の勉強会で「沖縄のふたつの新聞は潰さないといけない」と発言、それに自民党議員が「広告収入に圧力をかけてはどうか」という趣旨の発言をしたというニュースもあった。
 どこまでが本当かはわからない。よくある話だが、前後の脈略を省くと誤解される発言もある。ただ自民党議員の同調意見の方は「反対意見には圧力をかけて言論の自由を奪えばいい」という思想が見え隠れして、心地よくない。何を言うかは個人の自由だが、権力にいる側がそれをちらつかせて発言するのは精神的に子供だと言わざるをえない。
 発言をする側が成熟していないのか、社会がまだ成熟していないのか、皆が「大人は判ってくれない」とつぶやいているようだ。
2015年7月5日
   隣は何をする人ぞ
 ニュースで監視カメラの映像が流れることがある。以前なら逮捕できなかった路上犯罪の検挙にも有効なようだ。半面、街を歩く容疑者の連続した映像などを見ると、いたるところにカメラが張り巡らせているとわかる。監視されている感が否めない。
 今秋からはマイナンバー制度も施行される。「社会保障など利便性の向上を図る」というが、国民と法人のすべてに番号を振り当て、所得や税金などを管理していこうという狙いは、人と組織の動きを監視していこうという思惑以外の何物でもない。
 一方、カードの普及も進む。「ポイントがつくので得だから」という理由で、わたしもコンビニではカードを出す。「マイブーム」で時折同じ商品を定期的に買い続けるが、飽きるとほかのものを今度は買い始めることもよくある。ビッグデータのなかではそんなことも見知らぬ人にはわかってしまうのだろう。
 これらのすべてが一元管理されるリスク、かつ悪意を持った組織がビッグデータにハッキングするリスクなどはないのだろうか?
 別にわたしがどこをふらふらと歩き、どのくらいの金を持っていて、それでどんな「お気に入り」を買い続けているかなど誰も興味はないと思うが、そういう管理社会が好ましいとは到底思えない。
 ちなみに今のわたしのマイブームはコンビニのオリジナルコーヒーですが、なにか?
2015年6月1日
   夏、来にけらし
 5月になって急に暑くなり、30度に近い気温の日々が続く。
 思えば、今年はほとんど春というものがなかったような気がする。冬から一気に夏になってしまったようだ。
 「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」という百人一首の歌がある。
 春が過ぎて夏がやって来たということを、白い衣が干してある香具山を見て感じるという意味で、作者は持統天皇である。
 体感ではなく、風景の変化によって、いつの間にか季節が変わっていたことを知るという独特の世界観は、日本的な美意識なような気がする。
 ちなみに「夏来にけらし」は「夏来たるらし」と書かれているものもあり、これは万葉がなで書かれた原文を後世の詠み人によって分かれているということのようだ。
 百人一首では「夏来にけらし」(なつきにけらし)だが、万葉集では「夏来るらし」(なつきたるらし)となっている。文法的には「夏来にけらし」は「夏が来たらしい」という意味だが、「夏来るらし」は「夏が来るらしい」となる。
 詠み方で風情は大きく変わるが、そこもまた味わいだろう。しかしいずれにしても、コートからいきなり半袖に移ってしまう季節感のなかではこうした美意識は希薄になる。季節が移ろう間もなく変わってしまうのは残念だ。
2015年5月5日
   20年後の銀座
 かつては銀座という街にはやはりそれなりの「格」があった。
 今はなくなってしまった並木座という名画座の映画館があった頃から、銀座には行く機会があったが、並木座で映画を観ても、敷居が高くて食事はほかのところでしていた。銀座で食事をするのは10年早いと思いながら何十年も過ぎた気がする。
 その後は銀座で普通に食事をするようになったが、それは自分の格が上がったからでは決してなく、銀座の方が格を落としてきたからのように思う。
 そして今ではその銀座も、免税店が並び、デパートでは中国語のアナウンスが流れる。
 もちろんそれは時代の流れである。
 考えてみれば、高度経済成長時代には、日本も海外のほかの街で同じ状況だった。ニューヨークのロックフェラーセンターを日本企業が買収したのはその大きな象徴だった。それは1989年、バブル絶頂期の出来事で、日本に対しては、礼賛よりも、皮肉まじりの「エコノミックアニマル」というありがたくない称号が与えられていた時代だった。しかしその後日本はバブルが弾け、ロックフェラーセンターも売却される。
 あれからもう20年が経過している。
 ニューヨークは今でも世界の情報発信地であり続けている。そして街中には、日本食のレストランが溢れている。改めて日本は、日本の文化は、きちんと欧米に評価されている。
 そう考えると銀座という街が真の評価をされるのはまだまだ先のことだろう。言うまでもなく、中国の評価も。
2015年4月6日
   365分の1
 「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日
 というのはともかく、一年は記念日で満ちている。
 耳の日(3月3日)、鼻の日(8月7日)というのはいかにもわかりやすいが、由来を聞かないとなぜその日になったのか、わかりにくいものも少なくない。
 ちなみに2月22日という日は結構制定されている日が多い。
 2(にゃん)、2(にゃん)、2(にゃん)で猫の日、2(ふー)、2(ふー)、2(ふー)でおでんの日というのはともに苦笑いだが、なかにはウィットに富んだものもいくつかある。
 ひとつは禁煙の日。これは2という数字が白鳥に見えることから「吸わん(スワン)」の語呂合わせである。
 また毎月22日はショートケーキの日でもある。これはなぜかと言うと、カレンダーを見るとわかる。上に15日が来ているからで、上に15(いちご)が乗っているというシャレである。
 あとはどうでもいい話だが自分の誕生日でもある。
 まあ何にしても365日のなかの1日でしかない。
2015年2月22日
   日はまた昇る
 空気が変わってきたな、という印象はある。
 パナソニック、キャノン、シャープ、TDK、オムロンなど多くのメーカーが生産の国内回帰の動きを強めている。海外で生産するより、国内での生産によりメリットがあるという考えが生まれ始めていることは、国内雇用の増加などを考えると悪いことではない。
 かつては、国内中小企業に取材すると、例外なく販売先の大手メーカーの海外生産移管による国内空洞化が深刻な問題として提議されていた。そしてあの時点では、この海外生産移管の流れを食い止めることはもはや困難と思われていた。国内空洞化という大きな問題の出口は誰も見いだせないという認識があった
 しかし意外にあっさりと転機は訪れている。
 まだ海外進出がメーカーの重要なテーマであることは変わりないが、国内空洞化という大きな社会問題は徐々に薄れており、国内生産も選択肢のひとつになっていることは間違いない。
 時間は少しずつ動いているのだが、振り返ると局面は大きく動いていることに改めて気付く。
 要因はひとつではないだろう。最大の生産移管先だった中国を例にとると、人件費など現地コストの増加があり、さらに反日感情などによる工場オペレーションの難しさがあり、そして何よりも円安の進行が大きい。
 ひとつひとつ考えればいずれも想定の範囲内のことなのだが、国内空洞化が議論されていたとき、正確にこれらが複合的に寄与して事態を変えうるということを予測していた人は圧倒的に少なかったと思う。
 「楽観的」と揶揄されるかもしれないが、どんな困難な問題もやがて解決策は見いだせるということを改めて思った。
2015年1月26日
   10年先の稽古
 あけましておめでとうございます。
 新しい年、2015年が始まりました。年末には、週刊誌やテレビも1年の回顧として、2014年を総括していた。毎年のことであるが、年末年始はひとつの区切りとなる。
 ややもすると日々流されていくなかで、改めて振り返る機会があることは、それはそれでとてもいいことだ。ただ1年というスパンではなかなか結果が出ないことも世の中には少なくない。
 大相撲の世界では「3年先の稽古」という言葉があるらしい。今の稽古は3年先に実るということだろう。逆に言えば、すぐに結果を求めていない姿勢がその言葉からは読み取れる。
 年末は1年の締めくくりだが、そこで総括しきれない途上のことも本当は少なくない。しかし現実には、すぐに結果を求めないという姿勢はなかなか難しい。特に企業においては、1年ごとの決算で評価されることもあり、また3年先には組織が変わる可能性もあり、腰を据えたことがしにくいという土壌もある。
 1年で区切りをつける習慣は大切だが、1年で決算書や通知簿のように結果が出ることだけがすべてではない。3年先の稽古をすることも企業にとっては必要なことである。
 話は変わるが、弊社は昨年末に創業10周年を迎え、今年は11年目となった。創業時にはゼロからのスタートだったが、毎年少しずつ会社を大きくすることができた。1年後だけでなく、さらに10年後の創業20周年をどういう形で迎えるかを考えながら、今年も毎日を歩いていきたいと思う。
 購読者の皆様、本年も何卒よろしくお願いいたします。
2015年1月1日
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